お洒落は足元から

冷たい石のロビーで親戚一同が集まって、ただぼそぼそとまるでそれがタブーかのように言葉を交わしていた。一時間ぐらいだと言っていたが、今どれくらいの時間が経ったのか、時計はあるけれど火葬が始まった時間を確認していなかったから、どれほどの時間ここでこうしているのかを確認する術が無かった。体感では30分ぐらいは経ったように思えるが、それはこの重苦しいような無機質なようなチグハグな空気感のせいかもしれない。母に聞こうとしたけど、俯いたままずっとその姿勢で、聞けそうにはなかった。

リンさんがゆらゆらとこっちに向かって歩いてきた。リンさんは一昨日に亡くなった祖父と祖母が、俺の母が独り立ちしたあとに引き取った養子の娘だ。詳しい事情は聞きづらくて知らないし、リンさんの名前を漢字でどう書くかだって知らない。ただいつも親戚の集まりの度にリンさんは怪しく歩く人だと思っていた。それは喪服ならば一層際立った。どこにピントが合っているのか定かじゃない目と首を揺らしながら、独特の歩幅でリンさんは黒いパンプスを鳴らす。やや茶色がかかった長髪が揺らめけば、まるで蛇のようだ。その妖しい魅力が頭にまとわりついて離れてくれないのも蛇みたいだ。いつからか、俺はリンさんに憧れのような恋のような好感情を抱かされていた。
やがて俺の前まで来たリンさんは手に抱えている小さな黒い箱を、俺が座るソファの横に軽く置いた。

「アキラく〜ん、コレ。お父さんが亡くなる前日に買ってた君の入学祝いだってさ」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうなら父さ……じゃなくて、爺ちゃんと婆ちゃんに言いな〜」

リンさんの奥で祖母がこちらに微笑んだのが見えた。

◇◇◇

リビングで俺と母はテレビを見ていた。俺はソファに寝転びながら、母は床で洗濯物を畳みながら、午後八時らしいゆったりとした時間だった。

「えっ……」

母の掠れた驚きの声と同時に、母の体がどんどんと下がっていく。立っている人が膝から崩れ落ちていく様子を想像して欲しい。それが座っているはずの母に起こっていた。俺はそれを見て初め「母さんの体が溶け始めた」んだと思った。が、すぐに違うことが分かる。俺が慌てて立ち上がれば母を見れば、映ったのは真っ黒な母を飲み込むためだけに生まれたとしか思いようがない穴。バグのように、もしくは神に編集されたかのように、突然描かれたその穴は瞬く間に母の体を地の中へと引きずり込む。

「キャァァァーー!!」
「えっ……母さん!?」

俺が、母が最後の希望を待って上に伸ばした手を掴もうと、駆け寄った時には既に母の悲鳴すら嘘だったかのように、まるっきり部屋から消してしまった後だった。床にぽっかりと開いてしまった真円はいくら覗き込んでもその先を見せない。残ったのは俺一人だった。

「うむ、どうやら上手くいったようだ」
「!?」

その時、俺の背後から聞き覚えのない声が聞こえた。慌ててそちらの方を振り向けば、見知らぬ老爺が立っていた。俺の表情が、よっぽど驚き、警戒し、そして困惑していたのだと思う。男は可笑しそうに少し微笑んだ上で、頭を下げた。

「やあやあ初めまして、私は屋敷義文といってだな……」

そこで男は息を吸って、頭を下げた姿勢のまま顔だけをこちらに向けて、こう続けた。

「魔法使いだ」

◇◇◇

見た目だけで言えば60は超えているであろうかなり年老いた男は、その見た目に反する若々しい声と姿勢で俺の肩に手を置いて俺に話し掛けてきた。黒いローブの広い袖口からは甘い香水のような匂いがあり、またその男の手に握られた杖はフローリングの床に相性が悪そうだった。

「魔法使いとは何なのか、そもそも私は誰なのか、自分の母はどうなってしまったのか、色々と聞きたいことはあるだろう」

「大体だ。こうも無作法に家にズカズカと入ってこられては君も私たちを信用しないだろう。だから私はもっと猶予を持てるように来るつもりだったんだがな。そう思わないか?」
「そんなこと言われてもさ〜仕方ないんだって。女の子の支度は時間がかかるんだよ?」

男、いや屋敷義文に話しかけられ、それに返事をしたのは見知った人間だった。屋敷義文の時と同じく、いつの間にやら俺の横に立っていた。唯一異なるのはローブがはためくような音と共に現れた点ぐらいだ。それはリンさんだった。祖父の養子で、ミステリアスな親戚。そんな見知った人間が見知らぬ格好で見知らぬ魔法使いを名乗る老爺と突然家に存在していた。

「リン、外を見張っておきなさいと言っただろう」
「そこの世間知らずのアキラくんを説得するには私が居た方が良いんじゃないのかなあ?師匠じゃ色気が足りなさすぎるし〜」
「全く、若い頃の章臣(あきおみ)に似てきたな……」
「いやぁまだまだ、あの稀代の才能には及びませんよ〜」
「そうやってすぐに茶化すところが似ていると……いや、まぁいいだろう」

ヒートアップしそうだったのを自覚したのだろう、屋敷義文は「ゴホン」とわざとらしく咳払いをして、再びこちらに向き合った。

「結論から手短に話そう」
「え、な何するんですか」

いつもより一つか二つほど元気そうなリンさんに驚いている暇もなく、屋敷義文は俺の方を見て少し笑みを浮かべながら、カツンっと杖を床へと叩いた。その瞬間、ゾワッと嫌な予感が走った。目に見える訳では無い。だけれど、なんとなく黒いもやのような何かで部屋中が満たされるような感覚を覚えて、鳥肌が立つ。

「『君の祖父、章臣は魔法使いだった』
→『祖父は魔法使いの中でも特別な天才だった』
→『その才能を継いだのがキミだ』
→『章臣の監視が途絶えた今、キミの身柄とキミが受け継いだ杖はあらゆる勢力が狙っている』
→『私は章臣から君の世話を頼まれている』

さあ、どうだ?」

ひと呼吸おいて、俺は今の体験を「魔法」だと結論づけた。五感がハイジャックされて、彼の言葉通りの事実をこのからだで目の当たりにした経験を。

「……不思議、ですね。だから信じます。信じますとも」

俺は今、屋敷義文が言った内容を追体験した。内容の真偽はともかくとして、それこそが魔法であり、体験できたことがそのまま魔法の存在証明だった。重要なのは俺が祖父の「才能を継いだ」という点、魔法の影響を直に受けたからだろうか。今まで見えていなかった理がこの目で確かに見える。

「師匠〜、それにアキラく〜ん、ちょっぴり悪いお知らせが」
「うむ。あまり猶予は無さそうだ」

やや困った顔のリンさんも魅力的だ。男と同じローブを羽織っていて、なんとなく葬式の時の喪服が重なる。リンさんは黒によく溶ける、それは似合うということだ。

(でも、そんなことよりも……いよいよ限界だ)

いきなり家に入ってきた二人と、突如としてどこかに「落ちて」消えてしまった母、どう考えても理解の外側にある状況に、それでも俺はこれだけは言いたかった。

「あの……まぁ色々全部信じるとして、とりあえず……靴、脱ぎませんか?」

なにやら二人とも忙しげだけど、こちらはこちらでその衛生観念に限界だった。二人ともずっと土足でフローリングを踏んでいたのだ。

「あ〜、そういやアキラくんって潔癖だったっけ〜」

◇◇◇

「魔法使いとは魔法を使えない人間よりも優れた存在、言い換えれば強い存在だ。だからこそ誰よりも紳士である必要があるのだよ」

屋敷義文が何も無い空間から出した魔法使いの正装らしい、白いシャツ、黒いジャケットとスラックス、それにローブを俺は存在するかもしれない菌を恐れながらも渋々着用する。なにやら追っ手が居るらしく、俺たちは玄関で出発への支度をしていた。

「その靴は相応しくないな。章臣から貰った革靴があるだろう?」
「スニーカーの方が逃げやすそうなんですけど、」
「品性は足元から見られるものだろう。そのスニーカーで空間を飛んでみたまえ、すぐに笑い者だ」
「そういうものなんですか」
「そういうものなんだ」

正直言えば誰かから貰った靴を履くことすら少し躊躇われるのだが、母を預かっているのは屋敷義文の魔法の可能性が高い、逆らうことは出来なかった。再び渋々、祖父から貰った革靴を靴箱から出して履いたその時、突然足元が煌々と輝き始める。

「なっ、なんだこれ!魔法……陣?」
「へぇ〜やっぱりコレだったかあ」
「定められた持ち主が使用する、これによって制限が解除されたと見ていいだろう」

「あのっ、これは……って、あれ?」

感心した様子の二人に俺がこの革靴について聞こうと口を開いた時には、既に魔法陣は消えていた。

「それがさっき説明した『受け継いだ杖』ということだ。君の祖父は杖の形をも自由に変える規格外だったんだ」

屋敷義文は俺の靴を見て、懐かしむように優しく微笑んだ。

◇◇◇

「こ、これ、ほ、本当に大丈夫なんですよね?」

近くのビルの屋上、フェンスの向こう側で俺たちは三人並んで立っていた。少しでも足をずらせば、「通常ならば」真っ逆さまに落下する。

「なあに堂々としていたまえ。君にはもう立派な革靴と杖、そしてローブがあるじゃないか」
「じゃ行こっか〜。アキラくんは道中、目を凝らしすぎないようにね〜」

そう言ったリンさんは俺の手を握ったまま、ビルから飛び降りた。

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