バイバイ、富永。

 2040年、教育上相応しくない内容(過度な性描写や暴力描写、危険思想が含まれる等)が多すぎる、とアニメや漫画などの創作物が非難されていた。
 インターネット上で青バッジを付けて偉そうにふんぞり返っている批評家や、30代を超えても独身のオバサンがほざいているのは30年以上続く伝統行事ではあるが、ただその時だけは運命的なことにもう一つ並行して問題が起こっていた。ある先進国(名前は出さないが)で日本の作品が公的に規制されたのだ。他の国でも完全規制とまではいかなくとも、厳しい検閲のもと年齢制限がかけられた。『オタク文化は山椒よりもカラすぎる──ベイジョン・レントリース(2030)』というフレーズが話題になったように、その流れは激流のように瞬く間に日本社会を飲み込んでいった。

 これはそれから数年後、日本の先進教育実験区域『学園都市対馬』の話である。

◇◇◇

「富永、アニメ映画ってあるじゃん?」

 机をくっつけ弁当を広げ「いただきます」も終え、さぁいざ食べん! というそのタイミングで唐突に溝口はそう言った。普通のボリュームで、何のためらいもなく。

 弁当の中に光る唐揚げに集中していた俺の意識は、そのおよそ食卓に相応しくない話題に強制的に引っ張られる。溝口の警戒心の無さへの驚きが半分、周囲に聞かれてないかの心配が半分といったところだろうか。なんにせよ気が気じゃないというのが、今の俺を表すのに最適だ。

「おい……声、落とせって!」
「あっ、そうか。すまんすまん」

 慌てて、ヒソヒソ声で溝口に叫ぶ。
 と言っても中学3年生の昼休みなんて青いぐらいにうるさい。その上、クラスの端っこでいい意味でも悪い意味でも目立たないモブ男二人組のことなんて誰も見ていないだろう。

 そうたかをくくっていた、だが現実はそうでなかった。たった一人だけ俺たちの話を耳に入れていた人間が居たのだ。

「「あ、」」

 誰かに聞かれたか、と周りを見渡す俺は黒嶺(くろみね)さんと目が合ってそう声を上げる。
 艶のある黒々とした長髪に片目が隠れる黒嶺さんはひとり黙々と俺たちの隣で食事を摂りながら、しかし確実にこちらの会話が聞こえているのを裏付けるように、普段は虚空を見つめるだけの目を今だけはこちらに向けていた。

 黒嶺にっか、何を考えているのか分からないぼっちの女子。誰かと喋っているところを見たこともないし、授業中当てられても小声でぼそぼそと答えだけを呟くだけ。
 彼女の印象は、俺が持っているパーカーをいつも着ているせいで、逆に俺はそのパーカーを着づらいから辞めて欲しいなぁ、ぐらいのもの。だが、それを指摘するほどの関わりもなかった。
 噂では何か授業中にイラストを──絵では無くてイラストを、だ──描いているという話もあるが、まさかこの島でそんなことをするはずもないし、ただの噂に過ぎないのだろう。

「聞かれたかも……黒嶺さんに」
「まぁ大丈夫だろ、ね、黒嶺さん!」

 びくっ、と体を跳ね上がらせながらも、黒嶺さんはコクコクと素早く頷く。傍から見れば溝口が暗に脅しているように見えるが、これは彼の無神経さによるものなので、決して何か強要している訳では無い。
 ただ黒嶺さんが、俺たちをこの島から追い出して罰金を払わせるような結果を招く、上への報告をするほどの度胸が無いだけの話だろう。

 だから、黒嶺さんまぁ大丈夫だろう、というのは俺も同意見ではあった。

「まぁその話は教室でするのはやめよう、帰りにな」

 ただ、教室で話すのはやはり良くない。だから俺は溝口にそれだけ伝えて、ようやく昼食を口に運び始めた。

◇◇◇

「ったく、あんな人がいっぱい居るとこでアニ……なんて言葉口に出すなんて何考えてんだ」
「すまんすまん、お前ら内進組と違って俺はまだここに慣れてないんだよ」

 溝口は外部組だった。中学から対馬島に入ってきた外部生で、確かに内進組よりも外部生は違反者率が高い(何故か、この学年だけは内進組も例年より退学率が高いが、それでも外部組の方が退学者は多い)のもそうだ。この島に入った途端、今まで制限されながらもそれでも普通に存在していたものである規制娯楽(サブカルチャー)の話が一切禁じられる息苦しさというのは、共感こそ出来ないものの理解できる。

 逆に内進組である俺なんかは入島した3歳からずっと規制娯楽に触れていないし、もっと言えばこんな施設に3歳の時点で放り投げる親というとこから察して貰えると思うが、3歳以前、生まれた頃からそういったもの(機関列車トウマスやアンドーナツマン等)とは無縁である。

 なにはともあれ、重要なのは溝口が破れば即退学でお馴染みの島則違反である『規制娯楽についての会話』をしそうだった、という点だ。約十年間ここに居たくせに俺はろくに友達がいない。コイツが居なくなった後、孤独に食事をとったり、授業のペア決めに困る、なんて事態はごめんだった。

「そうかもしれないけどさ……せっかくできた友達なんだ。退学なんてやめてくれよ」

 退学、という言葉を使ったからか、それとも乞うような言い方をしたからか、溝口はそこで何も言い返さなくなり、しかし軽やかに前へスキップしていった。何も反省してないな、と俺は察する。
 溝口は他人の人生をめちゃくちゃにすることだけを生きがいにしているようなやつなのだ。去年、彼に恋愛相談をして痛い目を見たのを思い出した。

「まー、俺は退学してもいいと思ってるけどなあー、家もなーんも不自由ないし? ただ、富永がそこまで言うならやめとくかぁ!」
「あんま大声でそういうこと言うなよー! 他の外部組に妬まれるぞー!」

 前で叫んでる溝口に負けじと俺も声を張って、オーバーサイズすぎるパーカーのフードを揺らしながらスキップする。

 教育を受けて貧困の輪を抜け出してやる、という決意のもと、ここに来ざるを得ないがために来たであろう9割以上の外部組が、ただの金持ちの暇つぶしとして来たという溝口をどう思っているかなんて簡単な話だった。政府が厳しく管理しているから明らかなイジメなんて発生しないのは救いだが、視線や態度で悪感情なんて容易に透ける。

 この島では生活費・学費の全てが全て支給される。無料で高等教育を受けられるし、なんなら給与が支払われる。これは国を挙げた実験に参加しているための当然の待遇と言えばそうなのだが、かなり凄いことだと思う。とは言え娯楽全てを犠牲にする、という点はかなり大きなデメリットだろうから、道楽でこの島に来るような人間は居ない。はずだった、溝口を除いて。

「あんな奴らにこの俺が負けるかよーー!! 殴らせて、道連れ退学だぜー!」
「あんま馬鹿なこと言ってんなよー! また明日なー!!」

◇◇◇

 またある日。

 着いてきてくれ、と溝口に言われるがまま町外れの、使われなくなった住宅街を彼の後ろを進み続ける。かれこれ1時間ぐらいは歩いていた、辺りは薄暗くなってきて不気味な雰囲気を漂わせる。道中何度も目的地を聞いたが答えてくれることもなく、遂に目的地らしき民家の前に着いた。

 その家だけ、他の家と少し違ってどこか生きている感じがした。外見こそ蔦に飾られ、塗装が剥がれた壁だが、何か自然な古さは無いのだ。

 そこに溝口はまるで自分の家かのように入っていく。俺は慌てて後ろを追った。

「地下室、ここを降りる」
「なあ、これどこに向かってるんだ?」
「回転扉だぜ、コレすごいよな。ちょっと下がって」
「ねぇ、これどこに向かってるの?」

 ギィィィ──と壁だった場所が開いて、再び溝口はどんどんと進んでいく。ちらちらと時計を見ているのは、何か決まった時刻に行かなければならない理由があるからだろうか。大きな音を立てて、俺たちを捕まえるかのようにキチッと閉まる後ろの回転扉を見て、なぜか本能的に「もう帰れないのだ」と悟った。
 回転扉といい、地下室といい、明らかに違法な雰囲気が漂ってるし、さっきから誰ともすれ違っていない。地下通路は陰鬱とした雰囲気とは対照的に清掃が行き届いているが、逆にそれがこの怪しげな場所が普段から使われていることを示しているようで恐ろしい。

「着いたぜ、この部屋だ」

 そう言って、溝口が扉を開ければ、そこは明らかに異質な部屋だった。全体的に薄暗くて、明かりは足元のライトしかない。そこにぽつぽつと、五、六人が座っていた。広くて、前面には大きなスクリーンがある点は高校棟の講堂に似ていたが、明らかに違う点がある。椅子とスピーカーだ。
 前に向かって降りていく階段の、段差ひとつずつに柔らかそうな椅子が六つほど横に並んでいて、十段ぐらいあるから、だいたい席数は六十個だろうか。しかも、その椅子ひとつひとつに、何か穴が空いた肘掛けがあった。
 そして、スピーカー。左右の壁に、合計六つほど大きなものがある。

「ここは……?」
「映画館だ。今から5分後、アニメ映画が放送される」
「えっ、は? 『アニメ』映画……って、いや、ダメだって!」
「大丈夫。バレやしないって、ここはずっと前からバレてないんだから。一度ぐらい、アニメをお前に見て欲しいんだ」

 そう言って溝口は俺を押し、半ば無理やりな形で椅子に座らされた。その右隣に溝口が座る、きっちりと俺が逃げないように足を踏みつけながら。
 
 ──どうにか逃げ場が無いものか……。

 そう考えて左を向けば、そこには居るはずもない人間が、こんな所に居てはならない人間が平然と座っていた。

 黒嶺にっか、だ。

「黒嶺さん!!?? なんでここに!?」
「尾けたから……」
「尾けた!? いや、ちょっ、なんっ──」
「お前らうるさいぞ、黒嶺も尾けるんじゃなくて言ってくれたら良かったのに」
「えっ、いやなんでそんな冷静に、ちょっと黒嶺さん、ここ島則違反になるから!」

 島則違反が発覚すると、その時点を持って即刻本島へ送還される。なんの申し開きをする時間もなく、この島の場所が特定されないように本当に一瞬で眠らされて帰らされるそうだ。ここまでは事実だ、契約書にも書いてある。
 そしてここからは噂なんだが、寝ている間に体内に埋め込まれている各種計測装置を取り除かれ、次の研究施設に連れて行かれるらしい。そこは生徒がなぜ規則違反をするような精神状態になってしまったか、を調べる恐ろしい施設だとか。

 まぁ、それぐらい島則というのは絶対なものなんだ。にも関わらず黒嶺さんはいつも通りぼけーっとした表情で、何を考えているのかも分からない。そんなだから俺は彼女がこの場所にいることの危険性を理解していないのでは無いかと心配になって、必死に帰らせようとするのだが、まるで石像がごとく彼女はその場から動こうとしなかった。

「うるせぇぞテメェら!!」
「いたっ!!」

 キレたおっさんに勢いよく後ろから蹴られる。たたでさえ、現在進行形で島則を破っているというのに、更に大人に感情に任せた怒りをぶつけられるという初めての経験、そのダブルパンチに俺は何を考えたらいいのか分からなくなる。

 そして、後ろのおっさんがキレたことで、ここまで来てしまってはもう帰れないという事実に俺は気付いた。この場所を目撃したのに映画を見ない──つまり共犯関係にならない、ということをこの映画館を運営している管理人が、はたまた他の観客が許すはずもないからだ。

 だからもう、何も考えないことにした。ただ頭を空っぽにして映画が始まるのを待つ。右隣で手を合わせて謝る溝口も、左隣で帰らせようとしていた時に外れたらしき俺の服の2つのボタンを拾う黒嶺さんも、もう考えないことにした。

「私……漫画家にならなくちゃならないんだ」

 黒嶺さんが小さく呟いた。

 そして、アニメ映画が始まる。

◇◇◇

 自室で、俺は今日見たアニメ映画の熱を必死に覚まそうとしていた。あの情熱が、あの感動が、あの笑いが、全て俺が見ていた世界を一変させてしまうほどのものだったから、だからこそ俺は必死で忘れようとしていた。今までが間違っていたと簡単に思えてしまうのが怖かった。

 だが、それは無理だった。溝口が恨めしかった、それ以上に溝口に感謝をした。

 面白かった。

 激情に燃えた、憧憬がそこにはあった。
 可笑しかった、どうしようも無いほどに。
 感動した、自分の知らない感情で溢れた。

 だから、面白かった。
 
 今だから少しだけ分かった。上映前に言った黒嶺さんの「漫画家に……なりたいから」という言葉がどんな道なのかを。その強い意思が宿った黒嶺さんの瞳が、眠る寸前に思い出された。

◇◇◇

 映画館に行ってから、二週間が経ったある日。俺は職員室に呼びだされていた。行けば、そこには溝口も居て、俺のことを待っていたようだった。

「富永、島則違反をしたな? 昨日摘発された映画館のことだ、知らないなんて言うなよ」

 先生はそう言った。俺は息ができなくなった、言い訳や事情説明をする間もなくあっという間に。暗転する景色の中で、溝口は笑っていたのが見えた。

◇◇◇

「私はどうしても退学になる訳には行かない。夢を叶えるために、今は従順なフリをしなければならないから」

 顔を隠すほどに大きなフードが着いたパーカーを脱ぐ黒嶺にっか。奇しくもそれは富永のそれと同じものだった。彼女はそれを着て、ずっと映画館に毎日のように通っていたのだ。

「だから、ごめんね……富永くん、私の代わりに罪を被って」

 映画館に落としてこなかった方の、もう一つのボタン。それを机の上で回しながら、黒嶺にっかは一人自室で呟いた。

 

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