月下の科学者

 キラキラと瞬く満点の星空の下、遮る物は木や雲すら無い。私たちが今いる山道から少し離れた野原に体育座りで2人きりだ。

 近くに街灯は無く、月明かりと星明かりのみが野原に寝転ぶ私達の顔を照らしている。

「星、綺麗やなぁ。」
 私は闇夜に流れる美しい銀河に思わず、そう呟いた。

「そうだね。」
 彼がそう呟くと、しばらく私達は黙り込むと、夜風やざわめく草の音が際立って聞こえて来た。風は涼しく、心地良い。

 そして、その夜の静けさは、星空を見ることに集中させる。まるで、宇宙という果てしないスクリーンに映し出された映画を見ているかのようだ。

 星空をつぶさに見ると、星の大きさや色が様々であり、それらの並びはランダムでありながら、何かの規則性を持つかのような美しさを持ち合わせている。

 この夜空の映画は長く、展開が遅い。それでも、居眠りも途中退席もしたくはない。引力のような魅力に私は取り憑かれている。

「あんまり星見ること無かったけど、ちょっとずつ動いてるな。」
「まあ、太陽と同じやからな。」
「昔の人が天動説を信じるはずだ。」
「せやな。まさか、他の星が動いてるんやなくて、自分達が動いてるとは思わんもんな。」
「ああ、この地面がぐるぐる回転してる上に、この地球自体も太陽を回ってる。それに、太陽系も銀河系をぐるぐる回転してるし、銀河系も何かを回っているかも知れないんだからなぁ。」
「みんな回り過ぎやん!

 なんでそんな回りたいんやろ。」
「そんな、回りたくて回ってる訳じゃないだろう。

 確か、地球が出来た時のエネルギーが今も地球を回してるらしい。太陽系とか、銀河系もそんな理由やと思うけどな。」
「えっ、じゃあ、地球が出来て46億年間回ってるのは、最初のエネルギーの惰性で今も回り続けてるってことなん?」
「そうだと思うけどね。」
「すごいな…。ガス欠ならんのかな?」
「いつかは来るかもだけど、それが来た時、僕らはもう死んでるよ。僕らにとっては永遠さ。」
「そうやな。

 でも、なんでそんなこと分かるんやろ?」
「多分、計算とかして分かったんじゃない?」
「へぇ〜、科学ってなんでも分かるんやな。」
「まぁ、そうかもしれないけど、意外と科学も万能じゃないよ。」
「そうなん?」
「じゃあ、金星はどっち方向に自転してるか知ってる?」
「えっ、そら、地球と同じ向きと違うん?」
「残念、不正解。正解は地球と反対向き。それでついでに言うと、金星以外の太陽系の惑星は全部地球と同じ向き。

 それに、地球だったら、公転するよりも自転する方が早いけど、金星は公転よりも自転の方が遅いんだ。

 つまり、金星自体が回るより、金星が太陽を一周する方が早いらしい。」
「へぇ〜、なんで?」
「分からん。」
「分からへんのかい。」
「違う、僕が分からないんじゃなくて、人類が分からないの。

 言っただろう。科学は万能じゃないって。

 科学は何でも知っている訳じゃないさ。だって、地球の隣の金星の単純な疑問すら、答えを出せていないんだ。

 科学はこの世界の全てを知っているようで、意外と身近なことすら知らないこともある。だから、科学は万能ではないんだ。」
「ふーん、そうなんやね。科学も意外と馬鹿やな。」
「まぁ、そうかもな。仮説はあるが、それは妄想の域を出ない。金星がなぜそんな捻くれたことをするのか、気になっても聞けやしないから、ずっと考え続けるしか無いんだよ。」
「ずっとねぇ。飽きるやろなぁ。」
「だろうね。

 おそらくだけど、飽きた時はこうやって、僕らみたいに星を見ているんじゃないか?」
「考え飽きた理論と違って、毎日変わるもんな、星も月も。」
 私はそう言った後、月を見てみると、月はまん丸に輝いていた。太陽の光を借りて、それは綺麗に輝いていた。

「星に気を取られて気づかんかったけど、今日、満月やない?」
「そうみたいだね。

 ……そうだ。さっきから科学を馬鹿にしてるようで悪いから、科学の良い所も言っておこう。」
 彼はそう言って、満月に向かって手のひらを伸ばし、月を隠すように手を握った。

「なぁ、僕は今、月に向かって手を伸ばし、月を掴んでみた。

 今、僕の握った手の中には月があると思うかい?」
 私は馬鹿にするように鼻で笑った。

「ある訳ないやん!

 月と地球はどんだけ離れてると思ってんの? あんたが手をどれだけ伸ばそうと月に手が届く訳がないやん。

 第一、私から見たら、月に全く届いてないのは見え見えやし。」
「そうかな?

 確かに、そっちから見たら月は手の中にないかもしれない。

 でも、僕から見れば月は手の中にある。月の感触は無いけどね。

 ……シュレディンガーの猫って知ってるかい。

 猫が半分で死ぬような箱に猫を入れると、箱の中には死んだ猫のいる可能性と生きた猫のいる可能性が重なっている。

 だから、その箱を開けるまで、猫の生死は分からないって言う量子力学の話だ。」
「それがどうしたん?」
「だから、僕は月に向かって手を伸ばした。そして、月は僕の視界から消え、手で隠れている。

 なら、月が手の中にある可能性と無い可能性が今、この手の中で重なっているのさ。

 見るまでは答えは分からない。」
 そう言って、彼は握った拳を開くと、案の定、手の中には月は無かったようで、何も無い手の中をこちらに見せて来た。

「残念やったな。今回は月が無い方引いたみたいで。」
「そうだな。夜空から月だけを取ることは難しかったみたいだ。

 でも、こっちならどうだろう。」
 彼はそう言うと、星空に目を向けたまま、おもむろに手をこちらに伸ばした。

 そして、私の手の甲を握った。

 私は彼の突然の行動に思わず、彼の手を離れようとするが、彼の手は強く私の手を掴んで離さない。

 私は抵抗をやめた。

 私は段々と速くなる心臓の鼓動が彼に伝わっていないか気にしながら、手の甲に感覚を集中させた。

 そして、彼の方を見ると、彼はまだ夜空を見ていた。
「今はまだ僕は見てないから分からないけど、僕の手の中に、君の手があるかもしれない。」
 彼は少し握り方を変え、私の手のひらを握った。彼はまだこちらを見ない。

「……分からないんだ。

 反対に回る金星のように、隣にいるのに分からない。だから、仮説を立てて考えるしかない。

 日に日に移り変わる君をずっと考えてる。君と出会った日から、太陽を回る地球のように、頭の中でぐるぐる回り続けてるから。

 それでも、君は夜空に浮かぶ月より遠くはない。

 だから、今、手の中にあるのは、僕の望んだ可能性。」 

 彼はようやくこちらに目を向けた。少し照れくさそうだった。

「これじゃあ、意味が無いね。

 手を開かずとも、君の手がはみ出している。そうなると、可能性は一つしかない。

 そうだろう。美月。」
 彼はにこりと微笑んだ。照れ臭そうな笑顔だった。

 私は太陽の光を反射する月のように、静かに微笑み返した。

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