「ここか……」
温く腐った闇の森を抜け、久しぶりに見えた紫色の空へ顔を上げた勇者一行の前に、ようやくお目当ての建物が現れた。魔王城。すべての魔物がここで生まれ、世界各地へ侵略の手を進めている。現在、世界各地で怒っているトラブルの8割は魔物によるものだ。こちら側とコミュニケーションをとるそぶりも見せず、ただ民草から奪い、殺し、犯す魔物どもを、ただ指をくわえてみている人間ではなかった。国王たちは連合軍を作り、魔物どもへ広く宣戦布告をした。そして、魔物の注目をそちらに集中させているうちに、勇者らの少人数パーティで魔王城へ忍び込み、密かに魔王を殺しこの戦を制する、というのが計画だった。勇者たちは、遠くに見える戦争の煙を見て、今一度闘志を震わせる。そして、両腕にあるだけの力を籠め、重々しく閉じた魔王城の扉を開けた。
魔王城の中は暗く、どこか死を匂わせる冷気が床を這っていた。勇者、戦士、魔法使いの三人はお互いの背を集め、死角の無いよう全方位に気を配りながらゆっくりと進んでいく。三人はこの旅が初対面だったが、苦しく絶望しそうになる局面を幾度も乗り越え、その信頼はまるで兄弟のようだった。
「勇者、どうやらこの先が最深部みたい」
魔法使いが杖を構えて、魔王城の一番奥、赤いビロードで彩られた豪華な扉を指し示す。
「ありがとう、魔法使い。戦士も、みんな頑張ろう。これで世界を救うんだ」
「おう」
戦士の短い返事の後、魔法使いが小さな声で詠唱し、一瞬後に天が割れるような音が石畳の魔王城に響き、扉を木っ端みじんに吹き飛ばす。
「覚悟しろ! 魔王!」
「来たか、勇者よ」
扉の奥、階段状になっている一番上の椅子の上で、奴は微笑んでいた。青褐色の肌、四本の立派な腕、各部に取り付けられた金の装飾品、そのすべてが奴が魔王その人である証拠だった。
「さぁ、貴様らの力を見せてくれ」
人間などというチンケな生命体を心底馬鹿にしたような笑みで、魔王はそう言った。
戦闘は、終始魔王が優勢に進めた。なにしろ魔王には無限と言っていいほどの攻め手があり、勇者たちにとっては次から次へ飛び出る奇術のようなそれに対応しているだけで精いっぱいだった。なんとか攻撃を避け、致命傷を躱すことが出来たという奇跡が重なっているだけで、勇者一行の命は薄氷の上のペンギンだった。
「そろそろ我に敵わぬことが分かり、命が惜しくなってきたころだろう。国に帰るなら今だぞ?」
「俺たちには、貴様を倒す責務がある!そのためならこの命、惜しくもなんともない!」
三人の周りを紫の霧が取り囲み、エコーがかった声で魔王がそう言うのを、勇者は毅然とした態度で跳ね返した。
「威勢がいいな、だが」
霧が晴れ、勇者たちが慌てて探せば、魔王はまた例の悠々自適な微笑みで再び玉座に座っていた。
「体は正直だぞ?」
魔王の左手に握られたポットの蓋が細く開く。先ほどから何度も、あれが開いては見たことも聞いたこともない魔術が飛び出すのだ。紺色に光る人魂のような魔法が風切り音を鳴らしながらポットから現れ、一行へ向かって直線で飛んでくる。勇者と戦士は急ぎ魔法使いの後ろに回り込み、魔法使いは前方へ防御魔法を展開した。しかし、一連のその連携ももう見破られていたようで、人魂は魔法使いの展開した魔法シールドを器用に回り込み、勇者の首筋をめがけて再び猛スピードで突っ込んでくる。
「あぶねぇ!」
人魂が勇者にぶつかる、その瞬前に戦士が彼を跳ね飛ばした。彼の剛腕に飛ばされた勇者は3メートルほど側方にすっ飛んだ。見れば、戦士の首筋にはあの人魂と同じ色である紺の光が、心臓の拍動と同じ感覚で脈動するように点滅していた。
「ぐっ!」
戦士が苦しそうに呻く。駆け寄って魔法使いが解呪を試みるが、どうにもうまく行かない様子のようだ。その様子を上座からまるで演劇か何かかのように見ていた魔王がククク、と笑う。
「今まで酷使されてきた自分たちの体の声を聴くんだな」
戦士のうめきが止んだ。魔法使いが慌てたように彼の体から離れた。
「まずいよ、この術式!」
魔法使いが焦り声で言う。スクッと立ち上がる戦士に、勇者は身構えた。
「モテるための筋肉は嘘だと思うんだヨネ」
裏声のような甲高い声が、戦士の「下の口」から鳴った。戦士は顔を真っ赤にして反論する。
「違う!オレは…」
「ステロイド使って筋トレするのはまぁ百歩譲っていいとして、理由が性欲ってのがネェ」
しかしその反論も自分自身の体の声によって無下にされていく。
「そんな、戦士がいつも注射してたのって、エリクサーじゃなかったのか!?」
勇者が思い出したように言うと、
「ステロイドダヨ~。みんなが寝た後に色街行くから、前準備っていうか、前戯っていうカww」
戦士はその声に慌てて自身のもう一つの口を押さえる。
「おい!それ以上……」
「てか、風俗行くのにお前らの財布から金抜いてたしナww」
戦士はその発言が、自分の考えていた最悪のものではなかったことでほっとした表情を見せた。勇者は反射的にイラっとした。
「くく、仲間割れを見るのは気持ちがいいな、ほら、次はお前だ」
魔王が腕を一振りすると、戦士の首下で蠢いていた光が体の中から飛び出してきて、今度は油断していた勇者へと入ってきた。
「なにッ!」
勇者も必死にもがくもその光は深く首下に埋まっていく。ついに床に倒れた勇者も、しばらくしてスクッと立ち上がり、戦士のほうを指さして言った。
「俺、ずっとお前の事馬鹿にしてたんだよな」
先ほどの戦士と同じ、甲高い声が下の方から聞こえてきた。
「違う戦士! そんなことは!」
「お前、筋トレしてるけどさ、普通に俺のほうが力あるじゃん。お前、実際魔王城の扉開けられないっしょ?」
「そんなことない! 国一番の力自慢はオレだ」
戦士が肩をわなわな震わせ言う。しかし、それに勇者は本人の意思に沿わず体が勝手にニヤつく。
「お前、じゃあ確かめてみる? 腕相撲しようよ、腕相撲」
「駄目だ、戦士! 下手したら骨を折ってしまう」
勇者は、申し訳なさそうな顔をするが、体の方は正直に腕まくりをする。出てきたのはごく一般的な筋肉量、太さの腕だが、勇者特有の「加護」によってその力は計り知れない。
「お前、どうした。来ないのか?」
威勢よく啖呵は切ったものの、勝負に出ようとしない戦士を勇者の下の口が煽る。戦士も、自分の筋肉が殆ど張りぼてであることと、勇者との実力差の開き具合を良く自覚しているからか、もじもじするばかりで実際に戦おうとはしない。
「ははは、もう心はバラバラか? 最後にもう一つだ」
魔王は再び腕を振り、光は今度は魔法使いの方へ向かった。魔法使いは今まで戦ってきた中で一度も見せないレベルの防御魔法を出現させ、自身を守る。
「皆さん!これは魔王の策略です、僕たちの心を引き裂くのが目的なんです!」
悲痛な声で魔法使いが叫ぶ。その声が届いたか届かないか、くたびれた様子の二人がうつろな足取りでゆっくりと防御呪文の中へ入ってくる。
「オレたちも言ったんだからよぉ~」
「魔法使いも言うのが、筋だよな?」
2人は彼の手から杖を奪い取り、羽交い絞めにした。そして魔王に目配せをして、
「今だ! 魔王!」
と合図を出した。そのまま光は魔法使いに侵入した。そして、また例のとりつきフェーズがあったのち、彼の第一声は、
「勇者の幼馴染と戦士のお気に入りの女、寝取った」
だった。二人が目ん玉ひん剥いて驚いているのに乗じて、まだ魔法使いの下の口は続ける。
「ほら見て、腹筋。エロいっしょ。時代は細マッチョだから」
彼はそのだぼだぼの修道服のような服を腹まで引き上げた。その重い服の中にあったのは、魚のように白い肌と、そこに深くへこみを作る腹筋の6パックだった。衝撃の告白からようやく目覚めた二人が次にしたことは、力に任せたフルボッコだった。光は痛めつけられる体から出てきて、フヨフヨと魔王の方へ戻っていく。
「さて、これで貴様らの心はバラバラ。何ならもう一人は床に倒れているではないか」
勇者も戦士も、今度は言い返せずぐっと黙っている。その様子を見て、またいつものようにくく、と魔王が笑おうとした時だった。光が魔王の首筋にするりと入り込んだのだ。そして、次の瞬間。
「四本手ってさ、前だけ優遇されてるよな」
「は? 俺らは酷使されてる、の間違いだろ? 後ろでいつものんびりしてられるのうぜーんだよ」
「とはいえ、お前左手じゃんw 俺右手だから俺のが忙しいわ。お前程度で酷使とかw」
「あ? なんか文句あんのか?」
魔王の四本腕の壮絶な口喧嘩が始まった。口喧嘩は収まらず、ついには彼らは文字通り手を出して争い始めた。魔王は、己の手たちの殴り合いに、ちょうど頭が巻き込まれて倒された。勇者たちは、それを黙って見ているしかなかった。というか、黙って見ていたら終わった。
魔王を討伐した英雄として、彼ら三人を迎える祝賀パーティはそれはそれはすさまじいものだった。酒にごちそう、華やかなドレスを着た貴婦人や、つい先日まで戦場にいた騎士たちの前で、勇者一行を代表し、勇者がスピーチをすることになった。勇者は喋り出す、
「筋肉は裏切らない、という言葉がありますが……」
