英雄欺人

 

「おや、記者さん。まだ起きてたのかい」

 ──ええ、この町は活気にあふれていますから、少し高揚しているようで。夜風でも浴びようかと。

「そうかい、あたしもさ。年寄りにゃ夜は長くてねぇ。ちょうど話し相手を探していたのさ」

 ──さようで。それじゃ、差し支えなければお聞きしたいんですが。この辺りに伝わる、『英雄』について……。

「驚いた。もう忘れ去られたものだと思っていたよ。なにせ何十年も前のことだ、当時を知る年寄りもみんな死んじまったからね──」

 
 何十年も前のことだ、という前置きに反して、老婆の語りは微に入り細を穿った。それだけ印象的な記憶ということなのだろう。
 そのまま書き起こしても問題なく読み物になるだろうが、版元の意向で私が再編し、物語として出版することになった。こちらも仕事なので、そこに私情は挟むまい。私にできるのは、語られた真実を務めてありのまま、歪めずに綴ることだけだ。

 

       ◇

1.

 現在、この土地は多くの民族が共存し文化の融け合う、情緒豊かな町として栄えている。
 しかし歴史を紐解けば、五十年ほど前までは戦火の影響を色濃く受ける貧しい村だったという。というのも、当時C市と呼ばれたこの一帯は、対立関係にある二つの大国(A国、B国とする)の軍事境界線のほど近くに位置していたためだ。
 A国は寒冷な気候のために慢性的な食糧問題を抱えており、比較的温暖な周辺国への南下政策を絶えず行っていた。対するB国は新興国であり、当時としては新しい法制度や技術をもって複数の民族を統合し急速に影響力を高めていた。両者は近隣諸国の中でも図抜けて強硬な外交政策をとっており、周辺は常に一触即発の張り詰めた空気が漂っていたという。
 そんな中、C市を何度目かの戦火が巻き込もうとしていた。話をしてくれた老婆が、まだ幼かった頃のことだ。

「冗談じゃねえよ市長さんよ、てめぇ本当にこの村を守る気があるんだろうな」
「もちろんです。全ては皆さんを守るため、私も身命を賭して外交に臨んでいます!なぜ信じてくださらないのか」

 役場の前の広場で、大勢の若者が市長と呼ばれた初老の男を囲み、口々に荒っぽい言葉で呼びかける。対する市長は口調こそ慇懃だが、どこか冷たくあしらうような気配があった。

「じゃ言わせてもらうけどよ、B国はこの村を駐屯地にするって言ってんだろ。
 確かに兵隊さんが守ってくれんなら何もしねえよりマシだろうがな、そりゃあ何百何千の大の男をこの村で面倒見るってことだろうがよ!」
「そんな貯えがどこにあんだよ!こちとら働いても働いても稼ぎは税で持ってかれてんだ。みんなカツカツなんだよ!あんたにゃわかんねぇだろうがなぁ!」
「こいつらの言うとおりだ。これ以上取り立てを増やされちゃ、A国のやつらに略奪されるまでもなく俺ら全員飢え死にだ。頼むよ市長さん、他の手立てはねえのかい」

 村の男たちは必死だった。彼らの多くはこの村を出たことがなく、家も畑も友も家族も、みなここにあるのだ。対して市長は数年前にB国の中央から赴任してきた外様であり、たとえこの村が地図から無くなろうとも帰る家が別にある。そうした立場の違いも手伝って、両者の問題意識には明確な温度差があったのだろう。

「ですから、A国の南下が始まれば、この村は略奪を避けられないと何度も説明しているでしょう。そうなれば農作物はもちろん、皆さんの身にも危険が及ぶ。そうならないために私財まで投じているというのに」

 市長は、はぁ、と焦れたような溜め息をこぼした。過熱する人だかりの中で、その音はひどく冷たく感じられただろう。一瞬の沈黙ののちに、村人のリーダー格の男が市長に掴みかかる。

「てめぇ、いい加減に……」
「そこまでにしておきましょう。後日改めてお話の機会を設けます。市長、こちらへ」

 そこへ割って入った男がいる。細身で色白、やや覇気に欠けるところのある三十前の男だ。彼は一年ほど前に中央から派遣された秘書で、考えの読めないところはあるが優秀、というのが周囲からの評だった。

「ああ、助かるよ。それでは皆さん、私はこれで。今度は冷静な話し合いができるとありがたいのですが……」
「おい待て、待てって……くそが。おい、帰るぞ」

 秘書に先導され市長が役場に逃げ帰っていくと、リーダー格の男は唾を吐き捨てた。彼が踵を返すと、周囲の若者も追従する。苛立ちを隠さない男たちの足取りがどすどすと乾いた土を揺らしていく、その剣幕に怯えてか、遠巻きに彼らを見ていた少女が尻餅をついた。薄汚れたボロ布からは痩せこけた手足が覗き、その目は恐怖の色を宿しながらもどこか虚ろだ。こうした風体の子供は、この地域ではそう珍しくもない。

「……おい、何見てんだ」
「施しが貰えると思ってんじゃねえだろうな。俺ら今気が立ってんだ、見てわかんねぇか、ああ?」
「近寄るんじゃねえや、“見捨てられた町”のガキがよ」
「──お前ら」

 リーダー格の男が低く唸る。気圧されてか、取り巻きは慌てたように口をつぐんだ。

「……言い過ぎだ。行くぞ」

 去り際に、男は横目でちらりと物乞いの少女を一瞥すると、眉間の皺をいっとう深くした。

 

2.

「ときに、秘書よ。例の計画について、上は何と?」

 役場の執務室には、村民たちの生活水準とは似つかない上等な調度品が並んでいる。ニスの匂いの新しいテーブルに、柔らかいクッションのしつらえられたソファ。そこに腰掛ける市長は異国から取り寄せた紅茶を一服呷り、秘書に問うた。

「はい。進駐が叶い、A国の部隊を退けた暁には、市長を首都に招集し議員の席を与えると」
「そうか!」
「はい」
「長かった……!こんなカスのような田舎にはいい加減辟易しておったのだ。これでようやっとおさらばだ!本当に長かったわい」
「はい、おめでとうございます。……ときに、さきほど農夫たちと取り決めた話し合いの日時なのですが」
「ああ?知らぬわそんなもの。貴様が適当にやっておけ。却下でよい、目を通す価値もない。わしこの村出てくし」
「……かしこまりました。適宜手配しておきます」

 市長はもともと、首都の旧家の出であった。そこで父の後を継ぎ国政の中枢に携わるものと疑わなかった彼は、父が政争に破れたことでこの村の市長へ任ぜられた。要は体のいい左遷である。
 辺境の統治にあたる貴族出には珍しくもない境遇だ。そこで地方と運命を共にするものもいれば、中央への返り咲きを目論むものもいる。この男は後者の筆頭であった。
 彼は村民から搾り取った租税の一部を横領し、私財として蓄えていた。その貯えの一部をもって駐留軍を迎え、中央に恩を売ろうというのである。無論、駐留が長引けば事前に用意した貯えが尽きることも容易に考えられる。そうなれば彼は民への取り立てを更に強めるつもりだろう。
 
「市長、お出かけでしょうか」
「ふん、野暮用だ」
「娼館でしたら今日は休業ですが」
「……隣町に繰り出す。馬車を手配しろ」
「裏門につけております。お気をつけて」

 市長の姿が見えなくなると、秘書はポットに残った紅茶を新しいカップに注ぎ、無表情のまま二度、三度と呷った。

「……まだ温いな」

 呟くと、ティーセットを片付けさせ、自身は部屋の窓を開けて外の風を浴びる。
 埃っぽい砂塵と堆肥のにおいが鼻を刺す。このにおいに、市長は事あるごとに顔をしかめ大袈裟に吐く真似などをしていた。実際、好ましいにおいかといえば決してそうではない。ただ、秘書は鉄面皮を少しだけ緩ませていた。
 時間にしてほんの数秒だったろうか。その数秒の間に彼は頭を冷やし、ふたたび心に鉄仮面を被り直していた。ただし、その仮面は先程までとは色の異なる──A国と通じた工作員としての仮面である。

「すまないが、わたしも今日は上がるよ。急ぎの用があれば家まで」
「お疲れ様です。どこか行かれるんですか」
「人に会う用事があってね。いや、仕事ではないよ。市長もお出かけだから、君たちも少し羽を伸ばしてくれ」

 部下に短く伝え役場を出た男は、周囲の視線に目を配りながら路地裏へと踏み入っていく。そして、開けた場所で新聞を広げると、物陰から小太りの男が顔を覗かせ、声をかけてきた。

『それ、もう読み終わったのかい』
『とっくに。しかし、他に読むものがないんです』
『そうかい、じゃあこいつをやるよ。クロスワードは埋めちまってるが』
『それはどうも』

 そう言葉を交わし、小太りの男は秘書から新聞紙をひったくる代わりに彼のポケットに別の古新聞を押し込むと、再び路地裏へ消えていく。これはA国の工作員がよく用いる情報交換の仕方だった。
 その後も、彼は村のあちこちを歩き回り、誰も知らぬような裏道に消えては工作員と何かしらの物々交換を行って去っていく。
 そのやりとりの一つ一つが大きな綱渡りであり、ひとつでもボタンを掛け違えば彼は一夜にして村はずれに転がる死体のひとつになるだろうことを、自覚していないわけはなかった。
 そして、何故彼がそこまでの秘密に身を浸し続けるかを知る者も、またなかった。

3.

 村の農夫の朝は早い。
 鶏が鳴けば目覚め、家畜の世話をし、畑の虫を取り、家畜の世話をし、日が暮れれば家に帰って内職をする。休む暇は決して多くないが、重税に喘ぎながらもなんとか日々を乗り越える。
 こんな村出てってやる、そう言って飛び出していった馴染みも何人かはいたが、うち一人は泣きながら出戻り、残りはどこぞで野垂れ死んだと便りがあった。
 村に生まれたものは皆、村で働き生きていくものだと、疑いもないではないが信じていた。

 ──あいつらはどうだろうか。この村で生きていくことに希望を抱けているだろうか。……自分を兄貴分として慕ってくれる以上は、そう思えるよう努力するしかないが。

 ──では、あいつは?
 その問いに、もはや答えが出ないことは知っている。だからこそもう二度と、自分を慕う人間を見捨てない。贖罪ができるとしたら、もうそれしかない。
 手の届くところにいる者は救いたいが、しがない農夫の身にできることなど知れている。今はすべてが足りないのだ。そう、無理やりに自答した。

「おい兄ィ。聞いたか、例のうわさ」
「うわさ、だ?どのうわさやら見当もつかねえ。はっきり言ってくれ」
「それがそういうわけにもいかねぇんだって!耳貸してくれよ」

 隣家から駆け込んできたのは弟分だ。年の近い農夫で、昔から面倒を見ていた。どうも交流が広いようで、あれこれ根も葉もわからないうわさ話を拾ってくるのは茶飯事だ、今度のもそれだろう、そう結論づけたかったが、どうも今日は様子が違う。いやな予感があった。

「市長の野郎、この村を売るつもりなんだって!」

 ──悪い予感というのは、往々にして的中するものだ。

「……まとめると、俺らから余計に搾り取った年貢を我が物顔でバラまいて、それで恩売って首都に栄転しようって訳か」
「うわさっすよ、うわさ。けど、本当だったら」
「ああ、黙っちゃいられねぇ。これまではまだ、自分も泥被って兵隊食わしてく覚悟があるってぇから、気に食わないなりに認めてたつもりだったがな。
 ここを去るつもりなら話は変わらぁ。あの野郎、はなからこの村の後先なんざ考えちゃいねえんだ。進駐が長引いて俺らが食うに困ろうが歯牙にもかけねえんだろう」

 あくまで、まだうわさの範疇だ。しかし、そう考えると辻褄は合うのだ。感じたことのない怒りがふつふつと湧いてくるのを抑えつつ、努めて冷静に言った。

「顔はわかるな?やつの身柄を押さえる。行くぞ」

 

4.

 男はその日も役場での仕事を終え、諸々の「連絡」のために各所を回っていた。その帰路のことだ。
 表通りのパン屋で翌日の朝食を買うと、自然な足取りで脇道に滑り込む。秘密保持には万全を期したくなるのが人情だ。相手方の口封じを避けるため、密会の後は決まって迂回し、市井の人間が寄り付かない荒れたバラック街を抜けていく。貧民街の地理においては余人に後れは取るまいと自負してはいたが、あるいはここを通る理由はそれだけではないのかもしれない。

 虫食い屋根のバラックにもたれ一服していた男は、ふと視界の端に白いボロ布をまとった少女を捉えた。

 一拍の逡巡。まったく必要な行為ではなく、逆にリスクは無きにしもあらず。長居はトラブルのもとになる。それでも、数秒の後には体が動いていた。

「……なんで」
「お腹、減ってるんだろう。食べなさい」
「…………なんで」

 少女に歩み寄り、先程買ったばかりのパンを差し出す。包み越しでもまだ温かかった。香ばしい小麦の香りに、少女の腹が慎ましく鳴る。それでも、少女はふるふると首を横に振るばかりだ。

 どの町でも珍しいことではないが、この村には被差別部落が存在する。各国で近代化が叫ばれ、制度上は撤廃されても、人々の頭に染みついた差別は根深く、部落の人間は貧困と蔑みの視線に晒され続けている。部落の人間は村では職にも就かせてもらえないから、ゴミ漁りや物乞い、時には窃盗を働いて日々を食い繋ぐしかないのだ。彼らの多くは苦しい生活から抜け出すことも、それを願うことすらやがて諦め、失望の内に死んでいく。
 目の前の少女はきっと、施しを乞うてもいないのに食べ物を差し出された現実が理解できていないのだろう。生き延びるため極度に疑り深く慎重になった少女は、いま目の前の男の真意を探っているに違いない。そして悲しいことに、悪意に晒され続けた彼女の理性では、このパンが善意によって与えられていることに決して気付けない。

「毒なんか入ってないよ。きみを泥棒にするつもりもない、これは買ったものだから。……一緒に食べようか」

 男は近場のバラックの軒下に腰掛けると、パンの端を小さくちぎり、自分の口に放り込んだ。そして、残りの大きな塊を少女の手にそっと握らせる。
 少女は緩慢な動作で顔を上げ、男の顔をまじまじと見つめた。長い髪に隠れていた少女の顔がはじめて直視できた。痩せているのもあるだろうが、小さな頭に比して大きな瞳をしばたかせる様子は、小動物のようで愛らしかった。

 ──似ている、と。
 男が思ったのは、これが初めてではない。以前に村で見かけたときも、きっと同様に感じていたはずだ。「だから」というわけでは決してなく、この場で出会った物乞いが肉親と瓜二つではなかったとしても、自身は同じようにパンを施したに違いないが。

 目の前の男と、自分の手にあるパンを二度、三度と交互に見つめたあと、少女は男がやったようにパンの端を小さくちぎり、おずおずと口に運んだ。

 数秒ののち、少女の大きな瞳が潤み始めた。
 男はそっと視線を逸らし、少女もまた弾かれたように俯いた。少女は黙々とパンをちぎり、小さな口に運び続けた。その度に大粒の涙が地に落ちるのを、男は決して見なかった。

「……きみ、家族は?」

 少女がパンを食べ終え、そして再び顔を上げられるようになった頃合いで、男は淡々と問いかけた。
 少女は後方にふっと視線をやりそうになって、それからはっとして俯いた。慌てて口をつぐむ様子から察するに、家族を危険に晒さないようかつて教えられたのかもしれない。素直で、そしてそれ以上に聡い子だ。

「大丈夫、家族をどうこうするつもりはないよ。パン、まだ少しあるから、よかったら食べさせてやるといい」

 そう言って、男は紙袋を自分と少女の間にそっと置くと、ゆっくりと立ち上がって踵を返した。ここに置いていくから好きにしなさい、という意思表示のつもりだった。

「……とう」
「うん?」

「……………あり、がとう」

 とん、と背中に弱弱しい衝撃があり、続いて温かい液体が滴る気配がした。しまった、刺されたか、と天を仰ぎかけて苦笑する。先にそういう邪推をするような、後ろ暗い大人になってしまった。

 すがりつく少女の手をやんわりと取って、男は少女に向き直る。それから屈んで目線を合わせると、そっと頭を撫でて、慎重に言葉を選びながら語りかけた。

「こんなことを言いたくはないけれど」
「……?」
「現状、おかしいのはわたしの側だ。きみは認識を改めてはいけない。こんなことをする大人を信用してはいけないよ」

 少女は悲しげな顔で頷いた。やはり、聡い子だと思った。

「……さよう、なら」
「ああ、さようならだ。しっかり生きなさい」

 ──ああ、きみが。
 ──きみが、疑いなく人を信じられるように。
 ──人を信じて、大人に甘えて、おなかいっぱいパンを頬張れるような、そんな世界を、わたしは作ろう。必ず。

 不意に、周囲に人の気配を感じた。それもひとりではない、大勢だ。

「行って。いいから」

 即座に身を屈め、少女の背を押してバラック街の奥へと走らせる。面食らった様子ながらも、彼女は迷わず従った。
 幸いというべきだろう、追手はそちらには目もくれない。初めから彼らの狙いは男ひとりだったようだ。

「……さて、何が狙いでしょう」

 無表情。鉄面皮を被り直して、毅然と顔を上げる。
 目の前に立っていたのは、先日村長を囲っていた農夫たちだった。手に手に鍬やら鎌やら縄やらを携えており、完全に荒事の雰囲気だ。

「知ってること洗いざらい話せ。てめぇここで何してやがった!」
「……答えなければ?」
「てめぇを攫って死ぬまで詰めるだけだ。肥溜に放り込まれたことはあるかい」
「その程度なら別段参りませんがね……」
「おい動くな!」
「動いたところで逃げられませんよ。ほら、降参の姿勢です。それで、質問に答えれば帰してもらえますか。仕事が山積みなのですが」
「……場合によるな。だがいいだろう、忙しいなら細かいことは訊かねえ、単刀直入にいくぞ」

「噂を流したのは、てめぇか」

「勘がいいんですね」
「否定しねえんだな」
「確信があるようでしたから。……ええ、村長がこの村を売ろうとしているという話でしたら、出処はわたしです。ああ、あなたのところに話がいくまで何人も人を介していますから、そこの彼は間者ではありませんよ」
「そうか。あんた、何が目的だ?」
「言えば手伝ってくれるというものでもないでしょう。あなたたちに何ができます?」
「てめぇ、兄ィを馬鹿にしてんのか」

「黙ってろ!」

 捕えているのはこちらだというのに、蛇を前にした蛙のようだった。
 目の前の秘書の男が恐ろしいのではない、彼の見据える未来が恐ろしいのだ。太刀打ちなどできるはずもない列強国を見据え、一個人としてそれらを相手取るつもりでいる、そんな悲愴な覚悟までをも、農夫たちの中で一人リーダー格の男は感じ取っていた。

「俺たちゃただ、この村で生き延びたいだけだ。気に食わねぇ市長の企みだとかはこの際、どうでもいい。ただ、あのロートルに任せていちゃ助からねぇと思うから、なんとかしようと動いてる。……そこの利害に関しちゃ、あんただって同じなんじゃねえのか」
「兄ィ……」

 男は相変わらずの無表情だ。しかし、その無表情の中にも、今は確かに何らかの熱を感じることができた。

「……姉さんから、聞いていた通りの人だ」
「なんの話だ」
「こちらの話ですよ。あなたには関係ない。関係あるのはこの後です」
「……!」
「村を守る、その志には賛同します。ただ、わたしには他にも、守りたいものがある。……それを受け入れてくださるのでしたら、わたしの手を取ってください。悪いようには、しません」
 
 農夫たちの間には動揺が広がり、各々が互いに顔を見合わせている。そして、彼らの視線はやがてリーダー格の男に集まった。

「……これから腹割って話そうって時に、その詐欺師みたいな言い回しはどうかと思うぞ」

 男たちの間に、固い握手が交わされた。

 

5.

 数日後、C市を取り巻く状況は急変した。

 A国の先遣隊が、恐るべき速さでC市へと肉薄した。その動きにB国は対応が遅れ、進駐軍の到着を待たずしてC市はA国軍の手に落ちた。
 しかし、事態はそれにとどまらなかった。A国軍がC市に侵入した際、すでに村内には火の手が上がっていたのである。

 時は、少し遡る。

 

「何だ、なんなのだ貴様たちは!わしが誰か知らんのか、ただじゃおかん、全員見せしめに、」
「そっちが話し合いを設けるって言ったんだろうが、ええ!?何の音沙汰もねえからよ、こっちから押し掛けただけのことだ!」
「下がりなさい、下がれ!市長、こちらへ、ぐはっ!」
「ええい役立たずが!こんな時に限って秘書は何をしておるのだ!」

 同日、昼過ぎのこと。
 役場の一階に位置する市長の執務室には怒号が飛び交っていた。リーダー格を筆頭に、現状に不満のある農夫が大挙して市長のもとに押し寄せ、暴動を起こしていた。
 役場の職員のほとんどは事態の鎮静のため執務室に詰めかけていたが、いよいよ収集がつかず一触即発、すわ刃傷沙汰かと思われた頃、ひとりの職員が異変に気付いた。

「……なんか、焦げ臭くないですか?」
「おい待て、嘘だろ」
「お前ら止まれ、落ち着け!いいか、驚くだろうが驚くなよ。そして勝手に動くな、俺が指示する。わかったら聞いてくれ。──火事だ!!」

 火は、役場の二階から上がっていた。火の手は給湯室から資料室へと回り、職員の集中する執務室へ到達するには一定の時間がかかる。いち早く避難の指揮が行われたこともあり、未曽有の出火にもかかわらず幸いにして遺体は発見されなかった。ただし二階部分はほぼ全焼、建物自体も耐久性の懸念から取り壊しは確実、といった顛末だ。
 出火の原因は職員の不始末ということで片付けられたが、混乱もあり犯人探しも行われなかった。なにもかもが不可解な火災の中で特に不思議がられたのは、全焼した資料室にあった書物の類も、重要度の高いものはほとんど無事だったことだ。火の手が上がってすぐ、何者かが資料を窓から投げ出したことで焼失を免れたと考えられているが、詳細は明らかになっていない。すべては不幸中の幸いのため、強いて追及する必要はないと結論付けられた。

 そうして収拾した火災事件の裏で、役場から失われたものが二つ、……いや三つあったという。
 
 一つ、市長の秘密裏に蓄えていた資産。これらは資料室の奥に巧妙に隠されていたため、火の手を逃れず焼失した、とされている。
 二つ、資料室に鍵付きで保管された、戸籍台帳の原本。ただし、現行の戸籍より何代も古い時代に記されたもので、現状開かれることは多くはなかった。保管されているのはひとえに、被差別部落出身の人間の特定のためである。彼らの多くはその身なりから差別されるが、彼らの就労や就学などの手続きの際には、この台帳の記述を理由に棄却されるというわけだ。
 これも保管している棚ごと焼失していたが、実務上大きな支障は出ないため、さして問題にはされなかった。誰しも、自身と家族の無事を喜ぶのが先決で、他者を蔑むことは頭になかったのかもしれない。

 三つ。市長の秘書を務めていた、痩身の男。彼もまた、火災後行方をくらましていた。遺体は発見されていなかったが、役場の誰とも連絡がつかないのだ。
 ある者は、彼が火災を引き起こしたのだと嘯いた。しかし、日頃の彼の働きぶりや人望を知る者がそれを否定すると、市長も渋い顔で追従した。彼に限ってありえない、それが役場の人間の総意となった。

 かくして、火災は最小限の被害で収拾した。
 そして、村を占領したA軍もまた、占領後の拠点となる役場の機能不全を理由に、早々に撤退していった。資源は焼けて乏しく人も施設も疲弊して、戦略的価値のまるでない土地のためにB国の部隊と事を構えるのを良しとしなかったのである。自然、B国の進駐の話も立ち消えとなり、後には寂れた町だけが残った。

 

        ◇

 ──え、終わりですか。

「ああ、この話はこれでおしまい。なにか不思議なところがあったかい?」

 ──いや、不思議でいうと全部不思議ですけど。火事のくだりとか謎だらけですし、なんか色々哀しいじゃないですか。全部燃えて何も残らないとか……。

「おや。記者さんにはそういう話に聞こえたんだね」

 ──違うんですか?

「ああ、違うね。なにも残らなかったわけじゃない。あの人はこの村に、いろーーんなものを残してくれた。名前も知られちゃいないけどね、まごうことなき英雄だよ」

 
 

6.

 火災から数年。C市はめざましい復興を遂げており、村というよりもはや町と呼ぶのが似つかわしかった。

「兄ィ、じゃねぇ市長、お疲れさまです」
「呼び方ひとつで目くじら立てねぇっての。お疲れ」
「今上がりっすか、俺もあとちょっとなんスけど、よかったらこの後飲みにでも」
「ああ、また今度な。今日はちょっと」
「コレっすか、コレ!?おいみんな、市長が女ブホァッ」
「悪い、手が滑った。また飲もうぜ、奢るから」

 市長と呼ばれた男は皺の増えた眉間を揉みながら役場を後にした。
 町の人間でにぎわう繁華街を何度も呼び止められながら通り過ぎ、より奥まった通りへと歩み入る。そこは、先日まで部落として扱われていた地域だった。

「早いですね、市長さん。お仕事順調ですか」
「ぼちぼちだ。……ここまで呼び出す必要もないんじゃねえか、もう」
「気分の問題です。懐かしいし」
「まぁいいけどよ」

 市長に声をかけたのは、16歳ほどの少女だった。質素な白いワンピースからは褐色の手足がすらりと伸び、痩せ型ではあるが健康的で活発な印象を与える。目を引くのは、短く切りそろえられた前髪の下でぱちぱちと瞬く大きな目だ。
 二人は連れ立って旧い通りをゆっくりと歩く。かつてのような退廃は鳴りをひそめ、一帯は生活を新たにせんとする人々の活気に溢れていた。

「……変わりましたねー。ここ」
「まだ向こうの方は相変わらずのバラック街だけどな。まぁ、それも様変わりしていくんだろうが。……不満か?」
「まさかです。ここはもう、見捨てられた土地じゃないですから。わたしたちはここ以外にも住めるようになったし、ここに住みたい人だって無理に追い出されたりしてないし。してませんよね」
「してねぇよ。まぁ、土地開発は進めるわけだが。お前らの意思は最大限汲むさ。それが、」
「贖罪、ですか?もういいのに」

 少女は軽い足取りで市長の前に踊り出ると、ワンピースの裾をはためかせてくるりと向き直る。

「感謝してます。ほんと、感謝してるんですよ」
「……そうかい。まぁ、百歩譲って、半分は受け取っておく」
「……そうですね。はんぶん、は」

 立ち尽くしたまま、二人は空を見上げた。
 西陽は半分落ちていて、あたりは少しずつ夕に暮れていく。繁華街の喧騒がほど近く聞こえるが、この通りはまだ薄暗い。今夜は、星明かりがよく見えそうだった。

「ところで、最近学校で歴史を勉強してるんですけど」
「……俺ぁ親戚のおじさんか」
「A国ってなんで攻めてこなくなったのかなって」
「そのうち習うんじゃねえか」
「だとは思うんですけどね〜。今気になっちゃったもんはしょうがなくって」
「……まぁ、俺もちゃんとは知らねぇがな。軍部への吊し上げがあったんだと。粛清ってやつな」
「シュクセー?」
「要は、ここらへの出兵ってのは軍部の独断だったわけだ。お偉方に許可を取らず、功を焦った将校が勝手に兵を動かした。成果の一つもあれば違ったろうが、それで占領した村が焼け野原だったもんだから大目玉食らって立場なくしたわけだな。そうこうする間に穏健派が実権握って、ようやっと終戦ってわけだ」
「へー。軍人さんってアホなの?死ぬの?」
「バカお前、極論が正しかったことはねえぞ。歴史やるなら覚えとけ。……こっからは独り言だがな」

 そう前置きして、市長は手近な建物にもたれ、懐から煙草を取り出した。

「奥さんに止められてませんでしたっけ」
「内緒だ、内緒。そういう気分なんだよ」 

「お偉方も、いいかげん戦争に見切りをつけてたんだろうな。そこで、喧嘩っ早いのをまとめて失脚させる方便を探していた。そこで例の事件だ、なにもかも間が良すぎたんだよ」
「……!」
「普通に考えりゃ偶然だ。一国の政治と隣国の田舎の騒動が結びつくことなんかまず無えよ。けど……」
「うん、うん……!」
「そういうことができる人間を、俺は一人、知っている」

 それから、二人の間に言葉はなかった。
 いよいよ空は暮れきって、まばゆい星々がまたたいている。
 男が深く息を吐いた。立ち上る紫煙は、当然ながら星には届かない。少女の背伸びにしてもそうだ。けれど、男のくたびれた瞳にも、少女の澄んだ瞳にも、星明かりは等しく映り込んでいた。

「……そうですよね。あの人が、死ぬわけ」
「ああ。あいつにゃこの町は狭すぎた。次はきっと、世界でも救いに行ったんだろうさ」 

 

 

    了

 

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