オタクの仏様(未完)

バイクが走り去って、配達物だけが残った。

 

陽光溢れる土曜日の朝、リビングで編み物をしていた美代子はのそのそと腰を上げ、玄関まで歩いていく。ポストの中には便箋が一通入っていて、取り出してみれば、大ぶりな筆で丁寧に「遺書」と書かれていた。胸のざわめく音がして、美代子は反射的に便箋をひっくり返して差し出し主の名前を見た。そこには「中山浩」とあった。足の感覚がなくなっていって、どうやって今自分が立っていられるのか、美代子は分からなくなってしまった。中山浩は、彼女の夫の名前である。浩とはずいぶん昔から別居している。美代子の現在住んでいるこの家は、新築のころは彼との愛の巣であった。しかし二人の間にあった熱も時間と共に奪われて生き、美代子の不妊が原因で子供のできなかったこともあり、ついにはどちらから言い出すともなく別居となった。浩が出ていったこの家を今日まで、「いつかフラッと帰ってきたときのために」と、慣れないパートや節制で守っていた日々だった。だが、そんな日々ともサヨナラかと思うと、なんだか日々に張り合いのなくなるように感じた。大きくため息をつき、「遺書」の筆文字を正面から見る。夫の書いたのであろうその文字とにらめっこしながらリビングまで戻ってきた。編み物をどかし、テーブルの上に便箋をどんと置く。鋏を取ってきて、便箋の角を数ミリ幅で丁寧に切っていく。中からずるずると紙を取り出す。目をつぶりながら、それを机の上に広げて、ちょっとずつ、ほんの少しずつ目を開いていく。

「魔天使ベルゼ様へ」

違う、私は中山美代子のはずだ。薄目の視界の中で飛び込んできた一行目に、私はノータイムでツッコんでいた。でも、あの旦那なら遺書でこういうボケをやる可能性も十分ある。あっけにとられてもう完全に開いてしまった目で、次の文を読んでいく。

「親衛隊長のモルンゲです、お久しぶりですね」

違う、うちの旦那は中山浩のはずだ。次の文へ目が滑る。

「この間の耐久背信、もとい耐久配信、素晴らしかったですぞ~~。27時間の苦労の果てにラスボスを打倒された瞬間など、我も涙を禁じえませんでしたぞ!」

そこまで読んで、美代子は便箋のほうをもう一度確認する。「遺書」、中山浩で間違いなかった。文字だって、昔昔に好きだった、ちょっとくねっとした下手な字だった。するするとそのまま手紙を読んでいけば、これはモルンゲ(夫)から魔天使ベルゼ(?)なる人物へあてた応援手紙であるようだった。仕方なく、美代子はそばに置いていたメガネをかけ、スマホを取り出し、慣れない手つきで検索ボックスに「魔天使ベルゼ」と打ち込んだ。検索をかけると、そこには一つのユーチューブのアカウントがヒットした。どうやらベルゼは現在配信中のようで、チャンネルアイコンは丸い円で囲まれていた。考える暇もなく、美代子はひきつけるように銀髪でロリータっぽい、男か女か分からない美人のイラストをしたそのアイコンをタップしていた。

 

「もしもし、ベルゼちゃん? 雑談配信のノルマ達成されてないんだけど、これはどういうこと~?」

マネージャーの粘つく声がヘドロみたいに私の耳にへばりつく。電話越しなのに、ヤニの匂いすら感じるその質問に、私は、

「あぁ、すいません、寝ちゃってました………」

と精いっぱい申し訳なさそうに聞こえるように言った。いつもならこのぐらいの時間でこのダル絡み謝罪強要タイムも終了するはずだ。

「いやすいませんじゃないよー。こっちだって慈善でやってるわけじゃないんだからさ~」

私だって別に慈善されてるつもりでやってるわけじゃない。でも、こんな仕事にマジになっちゃうのもそれはそれとして恥ずかしい。というような本音はお尻の下に押し込んで、とにかく口から「すいませんでした」を納品し続ける。

「今度、何セクのアイリちゃんとコラボだから、告知とか、ちゃんとしとけよ?」

こっちが「分かりました」という前に電話は切られた。ちょっとボロボロになりかけた心を、「今日はダル絡み謝罪耐久レースだったな」なんて楽天的な思考で無理やり塗りつぶしていく。私の名前は西崎芽衣。しかし最近は本名で呼ばれることはめったにない。「魔天使ベルゼ」。これがもっぱら今の私の名前だった。本名を知っているマネージャーや社長も私を「ベルゼちゃん」と呼ぶ。ディスコードを開き、何セク(何をセクション!)の窓口役の人にDMを飛ばす。

「お疲れ様です。次のアイリさんとのコラボの件で、よろしくお願いします」

何セクのアイリと言えば、世間一般ではまだまだ知名度は低いもののVtuberオタクから見ればまぁまぁ有名所の配信者だ。すぐに返信が来て、アイリがチャットルームに参加する。

「ベルゼさん、よろです」

との淡白なチャットが、ポンという通知音と共に送られてくる。活動歴は私の方が長いのにな、なんてクソみたいなことを考えながら、

「コラボ内容どうしますか?」

と敬語で返信をする。当たり前だ。向こうは登録者50万人越えの売れ筋、私は3万人どまりの売れ残りなのだから。

「任せる」

とまた短いメッセが飛んでくる。仕方なくワードを開いて、思い付いたアイデアを端から端にどんどん書いていく。これは会社員時代に私が編み出した案だし方法の一つだった。会社員のころは良かった。なにをするにも先人がいるし、私はギアの一つであればよかった。母が病気で倒れたのを原因に実家のほうへ戻ってきたときに、ちょうどVチューバ―ブームがかぶり、在宅で気軽にできるという噂を聞いて、姉にそそのかされてひょいと飛びついたのが良くなかった。外から見れば華々しい配信者も、中から見ているとやっぱり人間で、人前で出せない部分が強い人が多かった。しかし今更辞めるのにも踏ん切りがつかず、ずるずると現状へと繋がっているというわけだ。ワードファイルに二枚分箇条書きでアイデアを出して、コーヒーでも飲もうと席を立った時だった。

 

バイクが走り去って、配達物だけが残った。

狭い実家のマンションは玄関のドアにポストが併設されているタイプなのだが、集中していたからか、ポストに投函された音ではなくバイクの音でようやく配達に気づいた。寝室のベッドの上で寝ている母を横目に玄関へ行き、ポストを開ける。中には茶色のA4ぐらいの大きな封筒があった。これは事務所から定期的に送られてくる、ファンレターをいれた封筒だった。活動期間だけなまじ長いこともあり、こういった封筒をもらうことも初めてではない。封筒の口をびりびりと粗雑に開ける。中から出てきたのは色とりどり、と言ってもピンク色がやはり多いのだが、の便箋だった。色は似ているとはいえ、こんな私にファンレターを送ってくる人なんて知れている。これは○○さんで、こっちは多分○○さんだろうな、と大体予想もつく。その中で、最近配信に来ない人物の手紙があるのに気づく。親衛隊のモルンゲさんだ。普段なら配信のたびに「待機」のコメントをして、くしゃみをすれば「助かる」とコメントをして、下手な歌を歌っても「8888」とコメントしてくれていた彼だ。気になって一番に封筒を開けた。中に入っていたのは折りたたまれた半紙で、中には小筆で書かれたような字で、なにやら書いてあった。

「美代子へ、まずはこんな形での再開になってしまって申し訳ない。これを読んでいるとき、俺はもう死んでいるだろう。」

ここまで読んで、私は紙をぱたんと閉じた。これ以上読んではいけない気がむんむんした。モルンゲ、ではなく、一人のれっきとした責任ある人間の言葉を久しぶりに見た気がした。モルンゲ(?)さんからの手紙を後回しにして、他の手紙を開けていく。そこには普段通り、盲目的に私に好き好きアピールをしてくれている人の文章があった。それにほっと安心していると、電話が一本、彼氏からだった。

「あ、芽衣? 今暇だべ、遊びに来いよ」

そう言って、返事をする間もなくポンポン、と住所が送られてくる。都心の方の大衆酒場だった。

「でも、まだちょっと仕事が…」

と渋ってみるが、

「仕事って、Vチューバ―でしょ? 俺にいわせりゃあんなん遊びだろ。いいから来いよ、30分以内ね、よーいスタート」

と言って一方的に電話を切られてしまう。ため息をつきながらTwitterに、今晩の配信がないことを書き込む。通知がピコンピコン来るケータイを放置して着替える。通知の中にマネージャーのダイレクトメッセージがあったような気もするが、考えないようにする。

「じゃぁ、母さん。ちょっと行ってくるから」

死んだように眠る母親にそう声をかけ、私は起こしてしまわないようそっとドアを開け、外へ出た。

 

美代子が慣れないユーチューブを操作していたら、いきなりなんだか小さな女性が話している配信に入ってしまっていたようだった。ベルゼ、という一人称で喋るその女の子は、画面の下で流れるコメントを読み上げて、それに対してリアクションを返している。その中の一つに、

「遺書の話して~」

というのが目についた。遺書。その2文字が美代子の目に入ってきたとき、心臓がドンと震えた。

「あ~あれね」

ベルゼが話し出すのを、ケータイを落とさないよう震える2本の腕で握り、耳を限りなく鋭敏にして聞いた。

「まだよくは分かってないんだけど、なんか混ざっちゃった?みたいなのよね~」

ベルゼの要領を得ない答えも、美代子の中ではつながった。確かにウチの旦那はそそっかしいところがあった。ピクニックへ行くといっても弁当を忘れるし、メガネをすぐ無くした。手紙の中身と便箋を間違えていたとしても、なんら不自然なことではない。

「あいたいです」

人差し指で文字をうつ。会って話を聞ければ、たぶんきっと美代子の想像通りの結末になるはずだ。だからこそ、美代子はベルゼに会う必要がある。そのコメントがベルゼの目に入ったのか、ベルゼはその甘い声でそれを読み上げた。

「『会いたいです』~? 来週ね、リアルイベントあるのは来週だから、それまで待ってて下さ~い」

美代子のコメントに追従するように、コメント欄が「あいたい」で埋め尽くされていく。ベルゼは困ったように笑いながら、

「会いたいなら来いっての、待ってるからね~。って、こんな時間か、寝なきゃなのでまたこんど!」

と言って配信は終わった。黒い画面に、先ほど喋っていた女の子の顔だけをくりぬいたアイコン画像が浮かんでいる。来週、と彼女は言った。美代子は焦る胸を押さえながら、卓上カレンダーの来週の場所に、赤い丸を一つ書いた。

 

呼び出された大衆酒場に行けば、

「おう! 遅かったなぁ」

とカレの春樹が声をかけてくる。

「いきなり呼び出されりゃそりゃばたばたよ」

走ってきたので少しかいてしまった汗を拭って、席に着く。着くと同時に春樹が店員を呼びつけて、確認も取らずに私のぶんのビールを頼む。そしてニヤニヤしながらこっちに向きなおって、言った。

「最近どうよ?」

あぁ嫌な予感だ。この次に春樹が言う言葉を私は予測できた。

「そろそろ結婚しようや、なぁ」

酒の十分入って、赤ら顔で春樹がそう言った。二人で飲むときは、必ずこの話題が出る。そろそろ飽きてくれないかな、と私は思っている。

「でも、母さんの世話もあるし、私がいなくなっちゃうわけにもいかないしさ」

正直に言って、今の私にそこまでの大きな人生の選択をする勇気はなかった。

「てか、芽衣って次女だろ? 介護なんてさ、長女に任せりゃいいだろ」

「お姉ちゃんは帰ってこないし……」

「帰ってこないって言ったって、芽衣が消えてどうしようもなくなれば、帰って着ざる得なくなるだろ」

春樹の言う通りでもある。私はちょっと面倒見が良すぎるというか、責任のドボンゲームで最後に爆弾を渡されてしまうような性格をしている。そういう自覚はある。

「でも、ホントにそれで誰も帰ってこなかったら私は後悔するから」

と私が言えば、

「そう?」

と眠そうかつ興味なさそうに春樹が言った。そして、私のぶんのビールが届くか届かないかのぐらいでテーブルに顎を付けて寝だした。どれだけ飲んでいたのか、と不安になってくるが、まぁ春樹のことだ、明日には二日酔い一つなくけろっとした顔で会社に行くのだろう。そんなことを思いながらそうたいして美味しくもないビールを飲みつつ、ケータイの通知を見る。そこにはそこそこ大量のいいね、リツイート、リプの通知と、マネージャーからの殺人的な説教DMがあった。

「雑談のネタはあるんですか?」

という最後に送られたマネージャーのメッセージにメンションして、ほろ酔い気分の私は言った。

「遺言送られてきたんでそれネタにしましょうよ」

 

リアルイベントというのは、普段野球をやっている大きなホールを丸々使って行われる大きなものだった。炎天下の中、20前半ぐらいの若者に囲まれていたたまれなさを感じながらも、美代子の列はじりじりと入口へと進んでいき、中に入ったのは正午近かった。中は冷房が効いていて、外でかいた汗もふっと消えていくのが分かった。会場の中はひどい混み具合で、一歩踏み出せばだれかとぶつかる、そんな具合だった。人込みをかき分けかき分け、なんとかスタッフらしき人の元までたどり着いた美代子は言う。

「ベルゼという人に会いたくて、どこに行けば会えるでしょうか?」

スタッフは会場の遠い遠い端を指さして、

「ベルゼちゃんならもう少し奥の方ですね」

と言った。美代子はまたその老体を震わせて若く、そしてちょっと小太りな人の波に挑んでいった。

ベルゼのブースに近づけば近づくたび、美代子の周りの酸素は濃く、そして相対的にいい匂いなものになっていった。ブースと言っても、ユーチューブのアイコンに使われているベルゼの一枚絵の大きなポスターがあって、等身大のパネルがあって、あとは証明写真の機械のようなものがひとつ置いてあるだけだった。証明写真マシーンの前には数名の小太りなおじさん達が並んでいて、美代子はその最後尾に着いた。もしかしなくても夫も、前に並ぶ所謂オタクのような感じだったのだろうか、と考えた。もうしばらく会っていないから、どういう体型や人相になっているか想像もつかない。突拍子もないことを突然する人だったし、もしかしたら、入れ墨か何かを入れていたりするかもしれなかったな、なんかを考えているうちに、列はどんどんはけていって、ついに美代子の番がきた。カーテンをくぐり、想像通りの場所にある椅子に座る。すると、向こうの、本当ならカメラがあるところに付けられた大きなディスプレイが点灯し、例のベルゼちゃんの姿が現れた。

「こんにちは~、ベルゼです~。今日は来てくれてありがとうございまーす!」

と、先週配信で聞いたそのまんまの声がスピーカー越しに聞こえ、ベルゼの画像がぬるぬる動く。

「は、はじめまして。今日はちょっとお話があって参りました」

美代子は結構近い位置にあるディスプレイにびびって、ちょっとどもりながらそう言った。

「女性のリスナーさんって珍しくって嬉しいです~。それで、お話ってなんですか? 私なんでも聞きますよ?」

ベルゼはニコニコ笑顔でそう言った。その言葉に甘え、美代子は言った。

「私の夫、中山浩の書いた遺書についてなのですが」

瞬間、さっきまでぬるぬる左右に動いていたベルゼの姿がカチッと止まった。不具合を疑って美代子はディスプレイを2,3回こんこんと叩く。

「……あなたが、美代子さんですか?」

ノックが原因かどうかは定かではないが、ベルゼは意識を取り戻し、恐る恐るといった感じで美代子に尋ねた。美代子はそれに驚きつつも、

「はい。夫が迷惑を掛けました」

と言った。

 

突然送られてきた遺書について、なにからなにまですっぱりマネージャーに言ってしまうと、

タイトルとURLをコピーしました