好きな文庫本発表ドラゴン

それは、入学式シーズンを終え、尚も咲き誇る桜たちに、引導を渡すような雨の日だった。

 

「最悪だ…」

 

新学期早々、1限を含む連続4コマ。内容はほとんどオリエンテーションとはいえ、春休みで緩みきった身体と心には堪える。それにこの雨。寝坊して天気予報を見ずに出たのが良くなかった。おかげで、こんなバケツをひっくり返したような雨に、ちゃっちい折りたたみ一つで挑む羽目になった。折りたたみの方も、「いや自分には荷が重いっす」とでも言いたげに、俺の肩にボタボタ水をこぼしている。大学から家までは歩いて15分。どこに足を降ろしてもバチャバチャと音が鳴る道を、軽く爪先立ちで歩いていたその時だった。

 

「…………やつ」

 

ザァーザァーという雨音に混じって何か声のようなものが聞こえた。勘違いかもしれないが……どこだ?あっちの方から聞こえたような。

 

「…………のやつ」

 

勘違いじゃない。確かに聞こえる。今いる道から角を一つ曲がった先。住宅街に点々と存在する小さな公園の一つ。その隣にそびえる電柱の根本に、そいつはいた。

 

「いっぱい種類があるやつ」

「発表ドラゴン……」

 

好きな〇〇発表ドラゴン。最近発見された新種の生物である。そのかわいらしい見た目と生態、そして温厚な性格も相まって、発見以降人気が爆発的に上昇し、今ではペットとして飼われることも珍しくない。そんな発表ドラゴンだが…。これは……。

 

「お前、捨てられたのか」

 

申し訳程度にタオルが敷かれたダンボールには、雨でぐしょぐしょになってほとんど消えかけている「ひろってください」の文字。十中八九捨て発表ドラゴンだろう。爆発的に人気が上昇した弊害だろうか、今までペットを飼育したことがない層にも広く飼われるようになった結果、こうやって捨てられてしまうことも珍しくない。

腹立たしいことだ。自分の都合で飼い始めて、挙句飼えなくなったら外にポイ。捨てたやつは、窓の外の雨を見て、一度もこいつの顔が思い浮かばなかったのか?そんな思考が頭の中に浮かんでは消えてゆく。当のドラゴンは、人間という生き物の身勝手さを知ってか知らずか、降りしきる雨の中、眩しいくらいにただニコニコと笑っている。

 

「…………お前、うち来るか?」

「!」

 

ずっとニコニコしているため、はっきりとは言えないが、少し顔が明るくなった気がする。これは同意したということでいいんだろうか。まぁ雨の中外に置いていくわけにもいかないだろう。どちらにせよ一度屋根の下に移動したほうが良い。そうと決まれば早く移動しよう。

……あ、そういえばまだ大事なことを確認して無かった。

 

「お前は何を発表するドラゴンなんだ?」

 

一口に好きな〇〇発表ドラゴンと言っても、いろいろな種類がいる。最もポピュラーなのは惣菜だが、他にも曲、キャラ、シチュ、果ては性癖まで。発表ドラゴンを飼う際は、そのドラゴンが何を好きなのかを把握して、定期的にそれに触れさせる必要がある。……好きな高級車発表ドラゴンとかだったらどうしよう。

 

「後ろにマンモス背負ったやつ」

「マ、マンモス?」

 

「えんじの紐を挟んだやつ」

「えんじの紐……?」

 

「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たち」

「好きな文庫本発表ドラゴンだこいつ!!」

 

そこからはあっという間だった。

「ここが俺の住んでるアパート。ちょっとごちゃごちゃしてるけど、まぁ我慢してくれ」

「変な家」

「ほっとけ」

 

「びっしょびしょだし、とりあえず風呂入るぞ!」

「極楽に至る忌門!」

「こら!逃げるな!」

 

「ありもので作った飯だけど、どうだ?口に合ってたらいいんだが……」

「絡新婦の理!」

「それはどういうこと???」

 

好きな文庫本発表ドラゴンを拾ってから大体一ヶ月が過ぎた。初めは本当に一緒にやっていけるか不安もあったが、少しずつあいつも心を開いてくれて、今では立派に家族の一員だ。

 

「今日はオムライスだぞ〜」

「好き好き大す…………」

「どうした?」

「赤と黒」

「え?ケチャップが良かった?あ〜、ごめん。デミグラスバターライスで作っちゃった。まぁでもこっちも美味し」

「本屋で平積みになってるやつ!!」

「好きな文庫本発表ドラゴン!!」

 

そう言うと好きな文庫本発表ドラゴンは、その短い足をどたどたと動かして出ていってしまった。そりゃ確かにデミバターは邪道かもしれないけど、何も出ていかなくても…。

 

……ていうか流石にわがまま過ぎるだろ!なんかだんだん腹立ってきたな。もうあいつのことなんか知るか!どうせすぐ戻ってくるだろ。絶対探しに行ったりしてやんねーからな!

 

「弁当にタコさんウインナー何本いれる?」

「三体」

「OK〜」

 

「全然犯人わからんやつ」

「『どちらかが彼女を殺した』かな それって『どちらかが彼女を殺した』だね」

 

ガランとした部屋に1人座っていると、あいつとの思い出が脳裏に去来する。いやいや、放っておくって決めたんだから。そもそもあいつが悪いん

「あ、雨……」

 

いつの間にか外では、ポツポツと雨が降り始めていた。勢いは決して強く無いものの、重たい雲が空全体を覆い、しばらく止みそうな気配はない。

 

「くそっ……!」

 

絶対迎えに行かないって決めていたはずなのに、気づいたら傘を持って家を飛び出していた。アホか!雨降ってんだから意地張ってないでさっさと帰ってこいよ!世話が焼けるなまったく!

 

勢いに任せて飛び出したものの、足は自然とある場所へ向かっていた。確信があったわけでも、きちんとしたとした理由があったわけでもない。ただ、予感のようなものだけが、俺の身体を動かしていた。

 

「やっぱりここにいたか……」

「…….」

 

家から走って大体10分。あいつと初めて出会った場所。小さな小さな公園に、あいつは1人で立っていた。

 

「早く帰るぞ」

「…………」

そうやって近づいた俺に、あいつは無言で手の中にあるものを差し出した。

 

「たんぽぽ…?」

 

びしょ濡れの小さな手の中にあったのは、一輪のたんぽぽだった。その花冠は、雨の重みでぐったりと下を向いている。そうか、そうだったんだな。こいつ俺に謝るためにこんな雨の中……。

 

「アホか……」

 

とっさに傘を投げ捨て、好きな文庫本発表ドラゴンの小さな身体を抱きしめる。両手で抱えられる程のその身体は、出会ったあの日のように冷えていた。降りしきる雨で頬が濡れるのもそのままに、俺は好きな文庫本発表ドラゴンを抱きしめ続けた。

 

「…………よし、じゃあ帰ろうか!お前の分のオムライス、新しくケチャップで作ってやるからな!!」

「姑獲鳥の夏!」

「それはどういうこと???」

 

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