ケチャザクラ

キッチンに立ち、ケチャップが底に落ちているジョウロに水道水を注ぐ。こうして誰も起きていないような早朝に、習慣化した作業を行っていると日常を再確認できたような気がして頭がすっきりする。ただこの歳になると自然と早朝に起きてしまうだけの話だが。

 桜を育て始めて3年が経った。桜と言っても花見の為だけに存在しているソメイヨシノのような大きなものではなく、河津桜というきちんと剪定をすれば鉢植えで育てられるような小さな種だ。桜を育てようと思い立った当時、一週間にも及ぶ情報収集の末に選んだもので、購入する際、店員に知識量を驚かれた記憶がある。

 ジョウロを持ってベランダのカーテンを開ければ、真っ先に生き生きと伸びる桜の枝が目に飛び込んできて、大きくなった新しい鉢に相応しいその様子が私を安心させる。素人の私が植え替えをやってしまうと根を傷つけてしまいそうだったので、桜を購入した時に担当してくれた店員に頼み込んでやってもらったのだ。やはり彼は良い仕事をする。

 庭木販売店の店員とはすっかり顔馴染みの仲で、何か桜に問題がある度に彼に相談してきた。きちんと剪定をしなければ大きく育ちすぎてしまう為、ここまで何度も彼の手を借りてきた。しかし、未だ彼にもケチャップを水に混ぜて育てていることは言っていない。我ながら理解を得られると思わないし、特に植物を愛しているような彼が知ってしまえば絶句、のち絶交という怒涛が待ち受けているだろう。

 薄赤い液体を土にゆっくりと回し注いでいく。はじめは銀色に輝いていたジョウロも、とっくにケチャップによって赤く染っていた。

 なぜ私がこんな、ケチャップを混ぜた水で桜を育てるという奇行に及んでいるのか。それはひとえに妻のせいだった。作家だった妻の、独楽みたいな気まぐれが詰まったメモのせいだった。

ケチャザクラ・・・ケチャップで桜を育てる?
  ↑絶対マズい、たぶんデド不味い
                    』

 1ページ目のこの文字列を見つけた時は、何をバカなことを書いてるんだと少し笑ったが、それから幾ら季節が過ぎても『デド不味い』という言葉だけはずっと頭に巣を張っていた。デドとは何か、不慣れなパソコンを必死で叩いても答えは見つからない。生前も妻は時折不思議な表現を発していた。違ったのは、その時は意味を答えてくれる人が隣に居たが、今は居ないという点だ。ならば、自らで確かめるしかない。妻が残した最後の謎を解かなければ、私は死ねなかったのだ。

 そして幾日か過ぎ、ついに桜が開花した。

 少し前から蕾が伸び始めていたため、いつかこの日が訪れることは分かっていたが、それでもカーテンを開いて、いちばんに桃色の花が風で揺れるのが見えた時の感動は言葉には言い表せなかった。その感動の波に乗るように続いて安堵が駆け付けてくる。
 
 咲き誇る花を超えて射す陽は気持ちよく、私は窓も開けたまま床に寝転んでしまう。床もすっかり太陽で温まっていて、背中からじんわりと熱が伝わってきた。

 その時、

「あっ」

 落ちる桜、そのひとひらが口に入った。

「……う〜ん、デド不味い」

 芳醇高い酸味と仄かな甘さが絶命させ合ったような味が口いっぱいに広がって、思わず私は呟く。ケチャザクラはやっぱりデド不味かったのだった。

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