美月に服の裾を引っ張られる。
私はレポートを書き終わるまで、もう少しだったので、彼女の行動を無視した。
すると、彼女は、さらに強くグイグイと服を引っ張る。あまりの引っ張りに、キーボードを打つ手がずれた。
私は観念して、彼女の方を見た。すると、彼女は手に文庫本を持ち、別の手で図書館の出口の方を指差した。話がしたいから、図書室を出ろということなのだろう。
私は書きかけのレポートをパソコンに保存し、席を立った。
「さて、要件とは?」
私は少し怒りを込めて聞いた。
「まあまあ、そんな怒らへんでもええやん。ずっとレポート書き続けて、そろそろ休憩欲しかった頃やろ? 私なりの優しさやで。」
「まさか、休憩させるためだけに、図書館の外のベンチに呼び出したのか?」
「ちゃうちゃう、それだけやあらへん。ちょっと不思議なことがあって、考えても分からへんから、他の人の意見を聞きたくなったんよ。」
彼女はそう言うと、一冊の文庫本を私に手渡した。その文庫本は、少しほこりを被っていた。題名は、「夏の桜」。
「これがどうした。普通の本じゃないか?」
「まあ、本はね。
この本は、図書館の西洋芸術大全って言う、全15巻のどでかい本のシリーズの7巻と8巻の隙間にあった本なの。」
「なんで、芸術の本読んでるんだ?」
「いや、西洋芸術知ってたら、かっこいいかなって思って…、
ってそんなのはええの。その芸術書の間に、芸術と全く関係ないこの文庫本が入ってたんよ。
その本は芸術の本棚にギチギチに入ってた。その本は読んだことある訳じゃ無かったんやけど、なんか気になったから、ぎゅうぎゅう詰めの本棚からなんとか取り出してみたんよ。
そいで、その本をパラパラめくったら、桜の花びらが入ってたねん。」
彼女はそう言うと、手のひらに乗せた5枚のピンク色がかった桜の花びらを見せた。
「それがどうしたんだ?
まだ満開じゃないが、桜の花びらなんて、今ならたくさんあるじゃないか。この本を読んだ誰かが桜の木の下で本を読んでいたんじゃないか?
そしたら、桜の花びらが本の中に挟まった。そして、そのまま図書館に返却された。これで解決だろう。」
「そのくらいなら、私でも考えたわ!
でも、ちゃうねん。
その文庫本、ほこり被ってたやろ。普通、ほこり被ってたら、手で払うんちゃう? ページめくるたびに、ほこりが飛んだら、嫌やし。
でも、その本はほこりを被ってる。まあ、何が言いたいかと言うと、この本は長い間、誰にも借りられてない可能性が高いねん。」
「だからどうした。春は今年だけ来るわけじゃないだろう。今年より前の春に、桜の花びらを挟んで、図書館に返されただけだろう。」
「でも、それは無理なんよ。
だって、この本、去年の夏の新書やもん。」
「は?」
「この本は去年の夏の新書やから、去年の春の桜の花びらが入ることなんてないの。
でも、誰にも借りられてないから、今年の桜やない。
じゃあ、いつの桜やと思う?」
私は彼女の質問に答えることが出来なかった。
「無理矢理呼ぶだけはあるやろ。
まあ、ほこりだけじゃ証拠は弱いやろうから、もう一つ言っておくと、この桜は絶対に今年のやないねん。
この花びら、パリパリに乾いてるやろ。たとえ本の間に挟んであったとしても、ここまで乾くのは、2、3日はいるで。
でも、今から2日前は、土日の休館日や。そうなると、5日前になるけど、5日前にここら辺の桜は咲いてないねん。
まあ、沖縄の方まで桜の花びらを取りに行ったら別やけど、合理的に考えて、この桜は今年のやない可能性が高いやろ?」
「うーん…。」
私は頭を抱えた。すると、彼女は突拍子もない推理を始めた。
「タイムスリップやな。タイムスリップ。」
「は?」
「だから、タイムスリップ。
未来からタイムマシンで、人がやってくんねん。そして、この図書館でその本を借りて、未来の春に読んだ。
その時、桜の花びら挟んでしまう。そして、それに気づかず、今の時代に返しにきたんや。
どう、完璧な推理やろ。」
彼女は自信満々にそう答えた。
「なんで、わざわざタイムマシン使ってそんなことするんだよ?」
「知らへん!」
私はため息をついた。
「じゃあ、その推理は没だ。もう少し現実的な推理をしよう。
おそらく、その桜の花びらは押し花だったんじゃないか?」
「押し花?」
「ああ、さっき言っただろう。この本はでっかい本の間にギチギチに挟まってあったって。
そもそも、図書館の本棚は、本が取り出しやすいようにするから、普通は本を無理に押し込むことはない。
なのに、詰まっていたと言うことは、誰かが意図的に隙間を無くしたんだ。
おそらく、西洋芸術大全の本棚は、本を取り出すことはできるが、かなり隙間なく詰められていた。
そこに、桜の押し花をしたい誰かが夏に現れる。その誰かは春に集めておいた桜の花びらを押し花にしたいと思った。
そして、隙間の無い西洋芸術の本棚で押し花をしようとするが、もう少し詰まっていた方がいいと考えた。
だから、ちょうどいい大きさの文庫本を入れて、本棚が詰まるように調整した。しかし、その誰かは押し花の存在を忘れてしまった。
という感じでどうだろうか?」
「ダメやね。私の未来人説の方がまだマシや。」
「なんで?」
「あんたは押し花作ったことないから分からんやろうけど、押し花は鮮度が命や。花を取ったら、すぐに押し花にしやな、枯れてまうねん。
春にとった花びらを、夏に押し花にしようとしたら、真っ茶色の押し花になるで。でも、この花びらはちゃんと桜色や。
だから、この本の中に花びらが閉じ込められたのは、春以外ないねん。
それに、わざわざ本棚の隙間を文庫本で埋めんでも、押し花は重めの本に挟むだけで十分や。
だから、本棚ギチギチにせんでも、西洋芸術のどでかい本一冊借りて、本の間に花びら挟めばいいだけやねん。わざわざ文庫本に入れる必要がないんや。」
思ったよりも、完璧に論破されてしまった。彼女の言う通りだ。まあ、未来人説よりはマシだが…。
私は別の推理をするために、文庫本をパラパラとめくった。すると、本の間に和紙でできた栞が挟まっていた。
「これだ。」
私は栞を持って、触ると、小さな凹凸があり、その凹みは若干のベタつきがあった。
「押し花は押し花でも、押し花の栞だったんだ。
その花びらは元々この栞についていたものだ。証拠に栞に、5枚の花びらの凹みがある。栞の上に桜の花を作っていたんだ。
つまり、桜の栞を使っていた誰かがこの本を読む。そして、栞を挟んだまま本を返却。結果、美月が本を開いた時、栞から桜の花びらだけが剥がれた。
これでどうだ。」
「全然ダメ。
言ったでしょ。この文庫本は芸術と全く関係ない小説だって。図書館に返却したなら、司書さんがジャンルにそって、本を並べるでしょう。
なら、文庫本は小説の本棚に置かれるべき。
それにさっきも言ったけど、図書館の本棚は本を取り出しやすいようにするやろから、元々詰まってる本棚に入れないはずやろ。」
これまた、完全論破だ。
「うーん。ギブアップかなぁ。」
私はモヤモヤしながら、そう言った。
「じゃあ、私の未来人の推理が正しいってことでええな?」
「…。」
未来人ではないことは断言できる。
きっと、今までの二つの推理は悪くないはずだ。だが、何かが足りない。それを補うヒントは、今までの会話の中にあった。
そのヒントは、彼女がこの文庫本の謎を見つけられた所だろう。桜の花びらが入っていた所まではいい。
でも、なぜ、読んだこともない本が、夏の新書だと分かった?
そもそも、彼女は小説を読む趣味はない。レポートの参考文献以外で、本は読まないはずだ。
なのに、この本を知っているだけでなく、発売時期まで知っていた。
それに、私もこの本に既視感を感じている。どこかでこの本を見たんだ。
「お二人さーん。仲良くやってるねぇ。」
私が考えを巡らせていると、偶然通りかかった同じ学部の由梨が、私達に話しかけてきた。
「あれ、まさか、それは噂の桜の栞?」
「この栞を知ってるん?」
「えっ、逆に知らないの?
図書館の桜の栞。その栞を見つけたら、恋が成就するっていう噂。」
「知らへんなぁ。」
「でも、その栞は図書館から出したら、ダメだよ。見つけたら、別の本に入れるのがルール。
でも、ただ見つけるだけではダメで、桜が咲く頃に見つけることができた人だけ、恋人ができるっていう噂。」
「そんな夢見る中学生しか信じないような噂が、大学で流行ってるなんて知らなかったなぁ。」
「馬鹿にしてる? でも、噂は本当だから。
ってことは? お2人さんは…」
由梨はニヤニヤしながら、私達を交互に見た。
「じゃあ、お2人のお邪魔はしないように、私はここら辺で。」
そう言って、由梨は走り去っていった。由梨が走り去ると、本のページがめくれた。
「台風みたいやなぁ、由梨は。」
「そうだな。
でも、おかげでこの桜の謎は解けたかもしれない。」
私はそう言って、さっきめくれた時、かすかに見えた赤いシミのページを開いた。
「なぁ、この赤いシミ、見覚えあるだろう?」
「何、急に? 赤いシミ? 血かなんか?」
彼女は何かを思い出したように、手を叩いた。
「……あっ! ケチャップ?」
「そう、去年の夏の昼休み、夏希と一緒にご飯食べてた時。」
「そうや、思い出した。昼休み、3限の教室で、夏希と一緒に食べてた時、夏希は好きな作家の新作が出たって言ってた。
それがその本や。その時、私はホットドッグを食べてて、ケチャップをその本に飛ばしたんや。」
「そう、その時、私はそれを見ていて、ティッシュを貸した。だから、見覚えがあったんだ。」
「と言うことは、それは夏希の本ってこと?」
「そう言うことだ。だって、図書館の本だったら、ラベルが付いているはずだ。でも、この本にはない。
そして、推理の前にもう一つ、この桜の栞についてだ。この桜の栞、噂になるほどだ。
だから、桜の花びらをくっつけるのりが弱まっていたんだろう。栞にある花びらの凹みには、もう桜の花びらをくっつけるだけの粘着力はない。
これはこの本に挟む前から、桜の花びらは剥がれ落ちていた。そう考えることもできる。
すると、こう言う推理が出来上がる。
夏のある日、夏希は、図書館で本を読んでいた。すると、読んでいた本の中から桜の栞が出て来た。
しかし、夏希は残念に思った。なぜなら、桜の栞は春に見つけなければ意味がない。
今は夏。別の本にこのまま隠しても、春までに別の人に取られてしまう可能性がある。
でも、夏希には思い人がいた。春までに、この図書館で、誰にも見つからない場所に隠さなければと。
そして、おそらくだが、その時に栞から桜の花びらが剥がれていた。
桜の栞の花びらが栞から剥がれているのは、恋愛のおまじないとしては、なんとなく縁起が悪い。
しかし、幸いなことに、栞と花びらをくっつけるのりの粘着は少し残っている。
ならばと、誰も読んでいなさそうで、本がぎっしり詰まった西洋芸術大全の本棚に隠そう。そう思ったんだ。
なぜなら、大きな本の間に小さな文庫本を置いておけば、見つかりにくい上、万が一この本を読む人間がいても、この文庫本には気づかない。
芸術を調べる人がわざわざ小説を読もうとも思わないはずだ。
そして、押し花の推理と同じ理屈で、本棚に詰め込んでおけば、詰め込んだ力で栞に花びらがくっつくかもしれない。
だから、一石二鳥だと思った。
そして、桜の栞を持っていた文庫本に挟み、本棚の隙間がなくなるように、人目につかない西洋芸術大全の7巻と8巻の間に入れた。
これでどうだろう。添削はあるかい?」
「……なるほど、ええんやないか。
でも、まだ、夏希が未来人という説は…。」
「それはない!」
私はキッパリと言い張った。
「結局、夏希はこの桜の栞を忘れてしまい、私達に見つかってしまった。そういうことだろう。」
「……じゃあ、これは返しておいた方がよさそうやね。」
「そうだな。今度、このことを夏希にそれとなく伝えながらな。」
「確かにそうやな。」
そう言って、彼女はカバンの中から筆箱を取出し、筆箱の中のスティックのりを出した。
「やっぱり、くっつけといたほうがいいやろ。」
そう言って、桜の花びらにのりを塗った。
「……しかし、桜の栞の噂を作った奴は、性格が悪いよな。」
「なんでよ?」
「だって、桜なんて、すぐに咲いて、すぐ散る。そんなものを恋のおまじないにするなんて、ナンセンスじゃないか?」
「そう?
すぐ散ってしまう桜の花びらでも、押し花にすれば、長持ちする。
だから、この栞を見つけた時の気持ちのままで、末永くいて欲しいってことなのかもよ。」
彼女はそう言って、栞に桜の花びらを貼っていった。まるで、このおまじないがまだ続いて欲しいかのようだった。
