オム大のオムはオムライスのオムではありません

「ケチャップってさ、さすがに不当に軽視されてると思うんだよね」

 こういう切り口で目の前の男が話し出すとき、俺は脳の処理能力をつとめて他の事柄に向ける。
 経験上、そのすべてが与太話だからだ。

「そうか」
「そうだよ。ケチャップは味気ない、子供の食べるものだ、まずい、口々にそんなことを言う人は多いけどさ、そのうちの何人がオムライスを嫌いだって言えるだろう?ナポリタンは言うに及ばず、ハヤシライスだってエビチリだってケチャップで作れる。あとオーロラソースとか言うと手の込んだ感じが出るけど、あれだってケチャップとマヨネーズだろう」
「そうだな。もう桜も散るな」
「そりゃあケチャップが工業的に大量生産されるお手軽な調味料であることは否定しないさ。風味は均一でアクもクセも少ない、誰が食べたって美味しいんだから子供向けだって言いたい気持ちもわかる。でもそれなら子供向けで何が悪いんだって話になるよね。それに、いまや醤油だって味醂だって味噌だって大量生産だ。でもそれを毛嫌いする人は不可解にも見たことがない。これは不当以外の何物でもないだろう?」
「確かにな。もう一枚着て来たらよかったよ、思いのほか冷える」
「国内での歴史が比較的浅いせいで、それが既存の食文化を淘汰することを恐れたひとびとが過剰に嫌悪感を持っているのかもしれない。ばかばかしい話だよ、マリトッツォには飛びついたくせにさ」
「桜餅ってちょうど今くらいに食えばいいのにな。餅がピンクで葉が緑、ちょうど四月の今くらいの枝先がそうだろう。あれ咲く前に食っても釈然としないんだよ」
「イタリアやトルコみたいに、トマトが食文化の中心を担う国の人にとってはそりゃあ、ケチャップって邪道かもしれない。あのあたりだと家庭料理でも生のトマトをしっかり煮込むことだって珍しくないし、その手間暇の分だけ風味だって鮮やかだろうさ。けど、情報化高速化が際限なく進んでワークライフバランスのライフの部分が頭打ちになりがちな昨今の日本じゃ、ケチャップは忙しい食卓の救世主にだってなりうる存在だと思うんだよ」

 まぁ確かに、こうして無駄話をしていられる時間はこの先少なくなっていくんだろうな。コンビニの弁当やスイーツで申し訳程度の季節感をつまみ食いするのだって、正直わびしいと思わないでもない。無論、仕方のないことだが。
 いまは大学の昼休みだ。こうして話している間にも、近くて安くてうまい飯にありつかんと学生たちが群れをなして流れていく。駅からの直通路から少し脇に逸れ、俺は彼らに道を空けた。

「腹減ってんのか?オムライス食い行くか?」
「……はぁ、そういうことじゃないよ。食べるなら焼きそばがいい」
「並ぶだろ。三限間に合わねえぞ」
「まぁ実際、それほど空腹ではないんだな。パンいる?」
「もらう」

 大学の正門に面する道路沿いには、何軒かの弁当屋が立ち並ぶ。これらは学食を除けば、本学学生たちの昼食候補として最有力だろう。その通りと直行する線路の向こう側には、少し価格帯を上げてラーメンやインドカレーといった一品料理の店が転々と並ぶ。学生街とは得てしてそういうものなのだろう、おそらくは先輩から後輩へとクチコミが受け継がれ、今後も連綿と繁盛していくに違いない。商売がうまいことだ。

「だいいち、あのあたりの店ってなんか入る気にならないんだよね」
「まぁ混むからな」
「それもあるけどさ。外食するくらいなら弁当持ってきたほうが安く上がるし、談笑したいなら学食でいい。わざわざ外食するなら非日常感がほしいんだよ。特別さって言ってもいいけど、ともかくあの辺で得られるものではないね」
 またこまっしゃくれたことを。偉そうに言うが、お前の弁当は母親が作っているし、学食で談笑する相手もいないだろうが。……とは、流石に言わないでおいた。武士の情けもかくやだ。
 とはいえ、頷けるところが皆無でもない。人気とか評判とかいったものは、畢竟人の手で作り出されるものだ。そして時としてそれは、物事の本質とは異なるところに像を成す。このあたり、新しい飯屋は流行らないんだよな。……まぁ、事ここに関してはシンプルに安くて旨くて多い店ばかりだから、儲かるべくしては儲かっているのだろうが。
 それでいうと、桜だって或いはそうだ。なおもぶつくさと喋り続けていた悪友を放って、俺は顔を上げた。

 続いた花散らしの雨を受けても、未だ並木は美しかった。散ったそばから梢には青葉が萌ゆり、ここを学び舎とする学生たちの未来を象徴するごとくな生命力を誇っている。……そこまで前向きになれない学生だって大勢いるわけだが、まぁ散れど咲くまいと花は花だ。そうでなくては立つ瀬がない。
 ともかく、ここまで華やかに景色を染め上げてしまう花を俺は他に知らない。ソメイヨシノはおよそほとんどの学校施設にここぞと植えられた園芸種だから、そのように改良されているのだろうが。
 その意味では桜もまた、加工され、大量生産された文化であるのだ。

 不当、とはなんだろうかと、不意に思った。
 爛漫とした日和に似つかわしくないその言葉がどこから浮上したのか一瞬考えて、さっき聞き流した与太話だと思い出す。……なんだ、存外ちゃんと聞いてしまっている。
 というか、桜の嫌いな人だって別にいるだろうに。
 世の中に絶えて桜のなかりせば。きっと心はのどかであったに違いないと在原業平は詠んだのだったか。俺はそこまで心動かされてはいないが、それでも桜の舞わない日本の春を想像できない程度にはこの花を知ってしまっている。好むと好まざるとに関わらず、俺たちはみなそうなのだ。
 
「仮にケチャップが嫌われてるとして、だが。公然と、嫌いだって声が届く時点で、相当に広く愛されてると思うんだがな。それじゃ不満か?ケチャップ愛好家としては」
「いや、僕オムライスにはホワイトソース派だからなぁ」

 ぴきり。

「上等だ。デミグラスの深みを教えてやる。この際奢りで構わん」
「いやぁ、饅頭こわいねぇ」

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