桜爆ぜり

 

 

 曰く、古物には魂が宿ることがあるという。
 年月を経るごとに物には霊性が宿り、やがて自ら変化するだけの力を得て、己を棄てた人間への鬱憤を晴らさんと活動を開始する──というのが「付喪神」という、所謂妖怪変化の類らしいのだけど。それとは別に、わたしは思う。
 古いものは往々にして、人の手から手へと渡る。多くの人に所有され、または利用され、大切にされ、あるいは乱雑に扱われれば、そこには人の情念とか、ひととなりといったものが刻まれるんじゃないか、と。いや、別にスピリチュアルな話をしたいわけではないんだけど。たとえば骨董の欠けた茶碗に施された金継ぎが、大切に使われてきたことを物語るように。また逆に、メルカリにつるつるぴかぴかの参考書が出ていれば、前の持ち主は勉強に身が入らなかったのだろうとわかるように。要は、それが置かれ管理された状況そのものが、その背後にいる人物の投影であると言えはしないか、といったような。

 つらつらと語ったが、何のことはない。そんなようなことを考えるくらいには、放課後の図書委員という仕事は退屈だったのだ。
 時節は四月の下旬、学期の開始からしばらくは物珍しさと友達作りに忙しい新入生の一団によって賑わったこの部屋も、ほとぼりが冷めればこの通りに閑散としている。貸出カウンターに鎮座するわたしを含め、室内には数えるほどしか人の姿はない。黙々と勉強に励む人、退屈そうに話題書をめくっては棚に戻す人、イヤホンから忙しい音を垂れ流して眠りこける人。あとは隣接する司書室に引っ込んだままの司書さんくらいだ。生徒とも距離の近い快活な人だが、なんだかんだこの時期は忙しいという。あと、さっきから受付業務をほっぽって漫画コーナーから出てこない同僚。……まぁ、律儀に隣に座られたとして、気まずくない程度に間を持たせる必要が生じるので現状は悲観したものでもない。
 欠伸を噛み殺すついでに壁掛け時計を見上げると、とうに五時を回っていた。勤務時間も半ばを過ぎ、あと一時間足らずで閉館時間となる。拍子抜けというほどでもないが案外短いもので、カウンターの裏でこっそり読もうと持ち込んだ短編集も一冊目を越えていない。まぁなんでもいいか、また益体もない思索にでも耽るとしよう──。

 と、いうところで左手辺りに気配を感じて顔を上げると、案の定来客だった。図書委員も二年目になれば慣れてくるもので、ドアが開く前からなんとなくわかるものだ。……気配といったけど多分、間接視野の光の加減とかそういうものかもしれない。
 とはいえ、ここは飲食店でも量販店でもないので、「いらっしゃいませー」とかシナをつくる必要もない。小さく会釈して、またしずしずと視線を外し、新顔さんが本を片手にカウンターを訪ねるまでは大人しく待っていればいい。そうしてわたしは椅子の背もたれに身を預けるところであるのだ、常ならば。そう、今日はまた様子が違った。

「あー、司書さん来てないかい」
「すいません、忙しいみたいで。代わりに伺いますね」

 声のあるじは用務員さんだった。カーキの作業服を身につけた初老の男性で、どちらかというとにこやかなほうの人。名前までは記憶していなくて忍びないが、そもそもわたしらの教室はおろか、図書室に来ることは滅多にない。接点がまずないのでご容赦いただきたい、というのと。そう、かの人が図書室くんだりを訪れることは滅多にないのだ。
 滅多にない、稀有、希少。甘美な響きと言えなくもない。にわかに漂い始める非日常の香りに、わたしは内心浮足立っていた。(退屈な日常が苦でないことと、新鮮な非日常を好むことは矛盾しない──そう、わたしはおもっている。)

「悪いね、落とし物なんだけど」
「落とし物?」
「うん、普通なら職員室に持っていくんだが」

 やや怪訝な色がわたしの声に滲んだのを察してか、用務員さんが差し出したのは一冊の文庫本だった。それも、かなり年季の入った。

「裏表紙にバーコードがあるから、蔵書かと思ってね」
「あ、まちがいないですね。ありがとうございますわざわざ」
「ああいや、お礼なんて。そこの職員室についでがあったものだから」
「そうでしたか」

 こういう、定型句としてのお礼のことばに対して、いやいやと受け取らない人には謙虚な印象を抱く。それは好感ともいうけれど、他方でその後の会話ってどう打ち切ればいいのかと若干戸惑うわたしだった。「ありがとうございます」「ええ、さようならば」はやはり様式美だ。

「……これ、誰かが借りたものだよね」
「ええと、一応確認はするんですけど、十中八九そうですね」
「へぇ。今の子は難しいのを読むんだねえ。これ、レモンだったっけ」
「はい。梶井基次郎の檸檬ですね。二年の現代文の教科書にも載ってるので、そこから興味を持ったのなら同学年の誰かですかね」
「さすが図書委員。どんな話なの」

 帰るタイミング自体はいくらでもあっただろうが、察するに用務員さんも少し話したい気分だったのかもしれない。図書室での私語はご法度というが、まぁ許容範囲だ。
 
「そうですねぇ、まだ授業で扱ってないので要約ムズいんですけど──あ、ちょっと待ってくださいね」

 なにせ年度初めに教科書を通読する程度には本の虫である。語ると長くなりそうなので、先に仕事を済ませることにした。……同僚を使って。

「ねぇちょっと、林、仕事。これ」
「はいはーい。聞いてたよ、誰が借りたか調べたらOK?」
「ん、よろしく」

 それから話すこと、一分、二分くらいだろうか。用務員さんの反応がおもしろくて、やや熱が入ったかもしれない。
 梶井の著作は他にもいくつかの掌編を読んだが、通底して輝かしいものへの忌避感、もっというと復讐心のような暗い情熱を感じるので好きだった。丸善書店の檸檬のくだりなどはわかりやすくて有名なので、この図書委員でもレモンを模したしおりを配布する催しなどをやったことがある。そこかしこに爆弾魔が現れ、その節はちょっとかなり楽しかったものだ。閑話休題。

「……すいません、喋りすぎましたよね」
「や、おもしろかったよ。今度それ借りてみようかな」
「あ、この短編集なら同じのが蔵書にもう一冊あるので、すぐにでも」

 そう言うと用務員さんは顔をほころばせて本棚に向かい、照れくさそうにカウンターに並んだ。

「いやぁ何年ぶりかねぇ、こうして本を借りるの。ちょっとわくわくするよ」
「わかります、ふふ」
「おーい、坂口さん。ちょっとこれ見てよ」

 横合いから同じく当番に当たっていた林が顔だけ向けて言う。あ、坂口はわたしの苗字である。安吾と同じなので少々面映いような。
 林とは去年から同じ図書委員に当たっていて、ときどき当番が被る程度の仲だ。もっとも、彼はといえば当番の有無にかかわりなく図書室に居座るのが常なので、実際顔を合わせる頻度はもうひとつ多いのだが。益体のない話をおもしろそうに話すところは素直に愉快な人物だとは思う。……思うのだが。そういう人物なので、今のように「見てよ」と言われた事柄の半分は有り体に言ってハズレであることを、わたしは既に知っていた。そのため、興味深そうな用務員さんに倣って、わたしは話半分しぶしぶといった姿勢で身を乗り出す。
 貸出カウンターのPCには通り一遍の書誌情報の下に蔵書在庫や貸出状況の欄があるが、そこには「在庫:1 貸出可」とあった。
 システムオールグリーン。なんのエラーも生じていない、ありきたりな画面。だが、一点引っ掛かる。

「あれ、てことは」
「どうかしたのかい?」
「いえ、別にトラブルとかではないんですけど、ちょっと不思議で」
「不思議?」

 そう、不思議だ。というのも、この図書室にある「檸檬(新潮文庫)」は二冊で、うち一冊はたった今用務員さんに貸し出したばかりだ。すなわち、この手にある落とし物の「檸檬」は貸し出されていない、本来書架に鎮座しているべきものだったということを意味していた。

「さっき貸し出したのが反映されてないって線は?」
「もうリロード試したよ。この本はまごうことなく貸出可能だね」
「ひょっとして、何かまずかったり……?」

 わたしたちの疑問が伝播したらしい。慌てて取り繕う。いや、繕うほどの事態ではないんだってば。……だとすると、わたしが隠そうとしたのは非日常の匂いに浮足立ったわたし自身なのかもしれないが。

「いえ、まずいことはなんにも。ただ、貸出前の本を誰かが持っていっちゃってたみたいで」
「多分うっかりですね」

 林も追従して口添えた。用務員さんはほっとした様子だったので、それとなく話題を変えることにする。

「そういえば、これってどこに落ちてたんです?」
「ああ、外を掃除してた時に見つけたんだ。ほら、桜がすごかったから」
 
 言って、用務員さんは窓のほうを顎で示した。見ずともわかるが、なるほど落ちた花弁が絨毯じみている。今年は冬が長かったせいか、桜前線は新入生の足取りに追いつけなかったと聞く。だから四月も半ばを過ぎた今になって一斉に散りだし、用務員さんの仕事を増やしているというわけで。

「校舎裏に一本、はぐれたように咲いているやつがあってね。日当たりも微妙だからとくに花が遅くて、いまが満開なんだよ。そこの下のベンチに、ぽつんと置いてあったんだ」

 人通りの少ないところだから発見が遅れたかも、と用務員さんは申し訳なさそうにこぼした。無理もない、この忙しい時期だ。そも、林の言うように恐らくは図書委員のうっかりが発端なのだ。気にしないでください、と委員ふたりで頭を下げると、ちょうどチャイムが鳴り響いた。
 十七時五〇分の予鈴だった。もうそんな時間か。わたしたちの通うこの公立高校では、放課後の課外活動は延長届の出ている一部部活動を除いて十八時には終了するよう定められている。無論わたしたちも例外ではないので、無事帰ってきた落とし物を書架に戻し、帰り支度をする。見れば他の利用者の姿もいくぶん減っていた。

「それじゃ、私はこれで。今日はありがとう、お邪魔したね」
「いえいえ。あ、返却期限は二週間後ですので、そこだけお願いしますね」
「……よかったら、感想おしえてくださいね」

 最後だけまじめに仕事する林に今度はわたしが追従して、すこしためらいつつも一言添える。これは普通に照れだ。読書家はしばしば人見知りするのだ。

     〇

 ……訂正。
 誠に遺憾ながら、訂正の必要がある。つい数行前に、「読書家はしばしば人見知りする」だのと偉そうにのたまいましたが、いくつか不適切な点がございました。
 一点目。主語がデカい。人見知りするのは読書家すべてでなく、ひとえにわたしであること。
 二点目。しばしばっていうかほぼ常にです。こないだ饒舌に喋れたのはひとえに用務員さんの聞き上手ゆえであることを忘れてはならない。
 以上、訂正でした。失礼いたしました。

 翌日。
 昼休みの教室は連日の例にもれず喧々としていて、わたしは正直なところあまり得意ではない。というのも、本校は公立校であるので特に学食といった施設はなく、生徒はお弁当やパンを持参するか、購買で手に入れるなりして思い思いの場所で食べることになっている。したがって、昼休みになれば他クラスの生徒が友人との優雅なランチを喫すため教室の垣根を跨ぐことも珍しくないわけだ。わたしは、なんというか、そういう宛てが、ない、わけでして……。
 もっとも、別段誰かと一緒に食べたい気持ちが強いわけでもない。むしろ一人でぼんやりするのが好きだから今のような立ち位置になったわけで、それ自体は望むところだった。問題は席の配置にあったと言えようか。
 わたしのひとつ前、窓際の最前列の席のあるじは、片山さんという。彼女は端的に言って明朗で快活、おまけに目を引く美貌の持ち主であって、より端的に言えばギャル(?)だ。ギャルについて特筆すべき性質といえば、いろいろあるが第一に友達を大事にすることだろう。そして、そのコミュニケーションが密であること。……要するに、いたたまれないのである。
 彼女とその友人たちはなにも、周囲の人間に排他的な態度を取ることはない。しかし、せっかくギャル友のクラスまでやってきて昼を食べようというのだから、折角なら机をくっつけるなりしたいものだろうということを、わたしはなんとなく学習している。かといって、かのギャルたちは周囲の人間に排他的な態度を取るようなひとたちではないので、強いてわたしを立ち退かせるような真似はすまい。
 結果、座りたいのに座れないギャルたちと、座りたいわけではないのに座り続けているわたし、という構図が完成することをこそ、わたしは大いに恐れているのである。自然、わたしは昼食を教室以外で食べることが多い。
 
 今日もまたその例にもれず、わたしは行く宛てなく徘徊する運命を憎むでもなく抱きながら、そろそろと教室の前の戸を引こうとして、何の気なく自分の席に目をやった。

 ──気のせいでなければ。片山さんと、そのとき目が合ったのだ。そして、その目に少しだけどきりとしたのを覚えている。

 笑顔の印象的な、明るいひとだから。だから尚更に意外で、どきりとした。その目が、微塵も笑っていなかったことに。
 むろん、常に笑顔の人などいないことくらい知っている。そんな人がいれば表情筋は凝り固まって絶えず激痛を発し続けるに違いないし、そうであればわたしは皮膚科だか整形外科だか心療内科だかのしかるべき医療機関を勧める用意があるのだが、そうでなく。片山さんの表情が、ひどく空虚に見えたのだ。割り切れないことを、無理に割り切ったような。そんな顔をする人間が同級生にいることが、わたしは空恐ろしかったのかもしれない。
 誤解を恐れずに言えば、ギャルこわい、わかんない、という話かもしれない。……さすがにちがうかもしれない。

 教室を出て、ひとまず陽の当たる階段かどこかに腰を下ろそうと靴箱を目指したところで、ふと昨日の図書室でのやりとりが思い出された。
 そういえば、校舎裏の桜が満開らしい。
 そして校舎を約半周すると、目当ての場所は探すまでもなく見つかった。狂い咲きというのも違うだろうが、グラウンド側を彩る桜並木から大きく外れたところに一本、やや背の低いソメイヨシノがぽつりと咲き誇っていたのだ。具体的な基準は知らずとも、一目見て「満開」であるとわかる、見事な羽振り。樹高は決して高くないが、つつましい両手を精一杯広げるようにして、この梢の限りは私の春だ、そう云わんばかりに咲く、咲く。その姿の美しいこと。それこそ屍体なぞが埋まっていても不思議ではないかもしれない、と思わされる程度には非現実だった。いや、不思議だし大事件だし現実だけどさ。

 軽くなった足取りを自覚しながら寄ってみれば、梢の下にはベンチがひとつ、先客はいないようだった。差す木洩れ日までもどこか桜色を帯びた気のするほどに、高らかな色彩にすこし酔いそうな感覚が新鮮だ。
 決めた。ここに間借りしよう──冗談のようにひとりごち、腰を下ろす。そこでふと、左手に触れるものがあった。
 

「檸檬」
「梶井基次郎」

 表紙には、原色のレモンの果実とともに、そうとだけ書かれている。

 息を呑んだ。
 さすがに、偶然ではない。うっかりの線も消えたと言っていいだろう。これは明確に、故意だ。 
 はくはくと、心臓の鳴く音だけがしていた。

      〇

 同じ日の放課後が図書委員の当番に当たっていたのは、ある意味僥倖だったかもしれない。
 先のベンチでの拾い物を、忘れたことにして帰れるような性根はしていない。さりとて、誰かに話すのもなぜだか違うように思うのだ。……なぜだか、なんてカマトトぶった言い方はよくないか。わたしは、非日常、そして秘密の匂いに隠しようもなく高揚しているのだ。そして、願わくはその秘密をひとりじめにしたいと、そう思っているのだろう。
 だから、当番が僥倖だと言ったのは、思わぬ拾い物を人知れず書架に返すことができるためだった。帰りのホームルームが終わるや否やのところで足早に教室を後にし、図書室へ向かう。やはり、足取りは弾んでいる。そして職員室で鍵を借り、図書室の前のドアからほど近い文学の棚へ歩み寄り、書架に「檸檬」を置こうとして──

「やっぱり坂口さんだ。今日は特に早いね」

 弾かれたように振り向くと、林が立っていた。奇遇にも、そう間を開けずしてまた彼と二人での当番らしい。

「それ」
「え」
「ほら檸檬。梶井の短編集。昨日の今日だから気になってて。きみもだろ」
「あ、ああ……。そう、借りるってわけじゃないんだけど、家にもあるし。ちょっと手に取ってみたんだ」
「そう」
「そうなの」
「ふぅん……。よかったら、次貸してよ」
「それは自分で予約してくれる」
「それもそっか」

 ほとんど上っ面で吐いたにしては、矛盾のない会話ができたと思う。林はそれ以上追及することはなかった。

「僕はまだ読んでないんだけど、どの掌編がおすすめとかある?」
「林はそれ先に聞くタイプなんだ」
「タイプとかあるんだ。相性悪くないといいけど」
「わたしはとりあえず読んでみるタイプってだけ。いい悪いとか、好き嫌いの話じゃないから安心してよ。……でも、せっかくだから教えないでおこうかな」
「いじわるなタイプだ」

 林はそう言って笑った。いじわる、まぁ否定はしない。性根がまっすぐなら、たぶん純文学は肌に合わないだろう。それでいうと、目の前の彼も大概だろうが。

 この日も、図書委員の仕事は多くなかった。
 いつも通りに林は仕事を堂々とさぼり、いつも通りにわたしは黙々と思索に耽る。それだけの、けだるい夕間暮れ。わたしの逸る頭もいくらか冷まされたようだった。
 ぼんやりと、さっきの林の質問について考える。わたしの、好きな掌編というと。
 
 新潮文庫、二〇〇三年十月刊行の短編集「檸檬」には、表題作を含む二〇篇が収録されている。「檸檬」にはじまり、「城のある町にて」「泥濘」「路上」「橡の花」「過古」「雪後」「ある心の風景」「Kの昇天」「冬の日」「桜の樹の下には」「器楽的幻覚」「蒼穹」「筧の話」「冬の蠅」「ある崖上の感情」「愛撫」「闇の絵巻」「交尾」「のんきな患者」と続く。どれが好きか、どれを薦めるか。ということを考えるのは、正直なところわたしにはいささか荷が勝っていたように思う。というのも、わたしは人並みに読書家ではあるかもしれないが、それらについて深い造詣があるわけではないのだ。二〇の短編のすべてをよく記憶しているわけでも、理解しているわけでもない。漠然とした印象が残るだけのようなものもある中で、いずれか一篇を薦めるというのはどこかアンフェアなように思われた、というだけのきわめて個人的な理由から、わたしは林の問いへの回答を体よく保留したにすぎないのだ。

 ただ、それでもやはり、これはというものはある。理屈では挙げられないが、理屈じゃないところで記憶に残るものがあれば話は別だ。思うに、文学の所在とはそういうもの、そういうものを頭の片隅に引っかけて留めおく意味であるのかもしれない。

 「桜の樹の下には」やはり、これだろうなと思う。全編通して二〇〇〇字にも満たない、きわめて短い一篇。これは掌編でなく散文詩だと言う人もあるくらいだ。
 しかし特筆すべきはその短さでなく、その極小の世界観をほぼ一色に塗り潰さんばかりの、怨嗟ともとれる情念だろう。

『桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。』

 という一節から始まる一幕は、この調子の問わず語りに終始するのみだ。
 正直、理解できたとは到底言えない。ただ、引っかかった、というのが近いかもしれない。誰とも、何ともつかぬところにどす黒い感情を渦巻かせた人間が実在すること。それを仮託したくなるほどに、桜という花が梶井という日本人の目に美しく映ったこと。その一端の事実が、えも言われず意識の片隅に引っかかってちらつくのだ。

 結局、林はこの日、『檸檬』を借りていかなかった。わたしにあるだけの示唆を残して、悠々と体操服の巾着を振り回して帰る姿は腹立たしいのと同じ程度に滑稽でもあった。なんというかまぁ、わたしはこの人物のことがそう嫌いではないらしい。

        〇

 同日、夜。時刻は二十三時を回るくらい。
 わたしはなぜか、飽きもせず学校に向かっていた。

 家族への言い訳もそこそこに自転車を引っ張り出して漕ぎ出すと、当たり前だが夜だった。
 音のない路地に、力なく明滅を繰り返す街灯がいやに眩しい。春先だからと油断していたが、肌を刺す夜気の冷たさは予想以上だ。慌ててマウンテンパーカーの前を閉めて、それでも防ぎきれない肌寒さに震えているうちに、閉まった校門が見えてくる。自転車はひとまず横付けして、さっと身を躍らせれば案外簡単に侵入できた。
 下手をすれば補導。さにあらずとも不法侵入。言うまでもなく犯罪である。
 誰かを害する意図はないにしろ、わたしがかくの如き蛮行に及ぶにはさすがに理由がある。万人の理解を得られるようなものでは多分ないが、あるにはあるのだ。

『桜の樹の下には屍体が埋まっている!』
 その文言が頭から離れなかった。
 桜がいかに美しくとも、梶井がいかに参っていようとも、流石に額面通りに本気で言ってはいないはずだ。意味の通る美文を綴れるくらいには正気なのだし。さりとて、全部がフィクションと断じるには熱を持ちすぎた一節だ。では何か、彼は桜に何を観たのか。
 察することはできる。彼は輝かしいものに焦がれ、そう在れない自身に絶望し、焦燥し、憤った。美しいものが美しく在れる摂理に、運命とでもいうべきものとそれを内包する世界そのものに対して、身を焼くほどの熱をぶつけるしかないとわかっていたのだろう。発表された作品の中には肺尖に蝕まれていた頃の作品も多く含まれることから、また病に罹る前の経歴の華々しさから、そういった筋書きを組み立てることはできる。

 けれども、理解はしがたい。
 同様に、「檸檬」の落とし主についてもまるで理解が追い付かない。ただ、故意であるということしかわかっていないのだ。そして、わざわざ桜の樹の下に、その名を冠する掌編を収録した文庫本を一度ならず置いていくあたりも、おおよそ故意だと断定できる。
 なぜ。なぜ、そう自問し始めるとやはり桜だった。桜に彼らは何を観たのか、桜は彼らにどう映ったのか。その一端でも知りたくてたまらなかったのだ。
 不躾だと承知はしている。そもそもが不法侵入だ、そんなもの実行に移すほうがどうかしている。それでも、と考えてしまうあたり、既にわたしも桜の匂いにやられている。

 明かりのない校舎裏を歩くのは心細かったが、目当ての場所を見つけるのはやはりそう難しくはなかった。狙ってか否か、フェンスの向こうの街灯が、ちょうど花色を浮かび上がらせていたのだ。

 夜桜というのはまた別物だった。
 観光地にあるような、計算された光でなく。ただ居合わせたような白熱灯が却ってよかったのかもしれない。寂しげで、頼りなく。昼日中に春爛漫としていた桜の、陰の部分をちょうど垣間見るような、そんな桜だった。

 あるいは、安吾や梶井を狂わせた桜というのはもっと優美で荘厳で、明るい満月の夜にだけ全貌を顕すような恐ろしいものだったかもしれない。華やかさと、寂しさと、その両面を渾然と醸し出すからこその狂気だったのかもしれないと思う。ただ同時に、今日のこの場所にある桜はこれでよかったのだとも思うのだ。ただ寂しいだけの、なんでもない花。自然、あるクラスメートの顔が思い浮かんだ。それはやはり、ただ空虚なだけの、寂しい面影だった。

 不意に思う。ああ、あれは爆弾だったのだ。
 昼の明るい桜の下に、一冊の文庫本。それは誰に理解を求めない、無力な爆弾。叶わないことを知っていて、彼女を取り巻くすべてを吹き飛ばしてくれる予感だけをもたらす爆弾だ。

 この夜は、ついぞ何事も起こらないまま終わった。宿直の警備員に遭うこともなく、補導の憂き目に遭うこともなく、そして、片山さんとすれ違うこともなく。
 ただ、あの桜の下のベンチはその真ん中にだけ、花弁が積もっていなかった。誰かが払ったのか、ついさっきまで座っていたのか、はたまた単なる偶然の線も決して捨てきれはしないけれど。

        〇

 結局のところ、落とし主が誰かを裏付ける証拠などあろうはずもない。
 そして、裏付ける必要もさしてありはしないのだ。別に、誰かが傷ついたわけでもないし。それに、蔵書もたぶん、なくなることはないし。

「ちなみにね、あれからも何度か見てるよ。例の落とし物」

 律儀というほどでもないが、林は後日「檸檬」を借りていった。そして、わたしの手からそれを受け取るときに、なんでもないようにそう言った。
 件の小心な爆弾魔は、以降もしばしば犯行を繰り返しているらしい。ただ、依然として図書室にある二冊の「檸檬」の装丁に乱れはなく、果皮はみずみずしいままだ。
 思うところは多々あれど、単純に本が嫌いじゃないんだろうと推し量れた。天気予報を見てくるぐらいには正気。そもそも、わざわざ古典になぞらえてくる時点で、というのもある。

 古物には魂が宿る、それが置かれた状況そのものが、背後にいる人物の投影である、というようなことを考えた、のを思い出す。
 わたしは単に、あの本が置かれているのを見て、なにかを解った気になっているだけ。

「坂口さん、たまにそういう顔するよね。わくわくしてたまらない、って顔」

        〇
 

 …………補足。またの名を、蛇足。
 重ねて補足申し上げます。先日「読書家もといわたしは、しばしばもといほぼ常に、人見知りする」などと縮こまってのたまいましたわたしですが、あれにも少しだけ続きがございます。
 ほぼ常に、というのは、そうでないときも極稀にある、ということでありまして。

 

 昼休みはやっぱり苦手だ。居場所がないなんてことは別になく、わたしが勝手に逃げていることを、喧騒は黙っていてくれるから。
 そういえば、今日はギャルの子が遊びに来ない。もしかしたら休みなのかもしれない。前の席の少女は常のわたしと同じように所在なさげで、けれどもどこか安らいだように脱力していた。
 あー、ちょっとレアかも。それで、せっかくオフなんだから邪魔しちゃ悪いよな、そんなことを考えながら。それでも、わたしの心臓は不躾に、非日常への予感にはくはくと鳴いているのだ。

「……あの、か、片山さん。よかったら、お昼、いっしょに食べませんか──」
 

 

 

 

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