龍煙

宮脇龍之介
20歳、高校中退、今はフリーター
元虐待児、闇金が所有するマンションに暮らしている。朝7時に家を出る。午前中はオフィスで電話を掛け続ける。電話に出るのは高齢者で、事前に渡されている文言通りに支払い情報を聞く。午後からはSNSでバイトの求人を行う。テレグラムに誘導し、相手の保険証を抑えたあとは担当に引き継ぐ。日が暮れると指定された駅のロッカーや家のポストに包みを配送する。中身は分からない。家に帰るのは深夜2時頃。そこから1時間、金の出入りを計算し、寝るのは4時頃となる。

◇◇◇

その日、龍之介は「ああ、ついに自分は死ぬんだ」と暗闇の中で目を瞑った。
その暗闇は重石(おもし)をつけられたドラム缶の中だった。今朝、龍之介にいつも指示を出す役の明石さん(偽名)に叩き起されて、わけも分からぬままに車に乗せられたかと思えば、海辺に連れてこられ、また無理やり降ろされたかと思えば、抵抗虚しくいつの間にやらドラム缶に詰められていた。栄養不足の龍之介では複数人の男に太刀打ちできるはずがなかった。
外からは男たちが雑談をする声が聞こえた。女の話をしていた。奴らは人の命なんてどうとも思っていないらしい。そんな会話の後ろで波の音が聞こえる。全身が狭い狭いドラム缶の中で無理やり曲げられて痛い。呼吸用の穴すら無いせいでひたすらに息苦しかった。

ぱちん、とドラム缶が叩かれた。それと同時にドラム缶は宙に浮く。運んでいるであろう男たちの力む声は、徐々に大きくなっていく波の音にかき消されていった。ふっと宙に浮く感覚を覚える。その直後、ばしゃーんという大きな音とともに龍之介の体はドラム缶越しに水面に叩きつけられた。背中と膝、後頭部に強い衝撃が走る。ゆらゆらと揺れる中で、徐々に水が入ってくる。バシャバシャと水面を叩きながら男たちが去っていくのが聞こえた。後頭部を打ったのが良くなかった。龍之介の意識は徐々に薄れていった。

◇◇◇

「あ……あれ……?」

龍之介はまず呼吸が出来ることに驚き、次に生きていることに驚いた。相変わらず暗闇の中だが、明確にドラム缶は水没していた。体にまとわりついてくる水の感覚はあるのだ。

「喋れ……る?」

そこまで考えて自分が発声できていることに龍之介はようやく気付いた。海の中だというのに呼吸も発声も問題なく出来る。その異常性を龍之介は一度放っておくことにした。見て見ぬふりは得意だった。
ドラム缶は完全に静止している。おそらく海底に着いているのだろう。頭でドラム缶の上部を頭突きすると、驚くほど簡単にそこは開いた。その過程で、水の中での動きづらさみたいなのを感じないことにも龍之介は気付いた。
凝り固まった筋肉を無理やり動かしながら外に出る。まず目に入ったのは地面、砂の大地だ。傍には海藻がゆらゆらと上に向かって揺れている。やはりここは海底のようだ。手をついてゆっくりと立ち上がった龍之介は正面を向いて、それを視界いっぱいに収めた。

「なんだ……これ……」

赤と白と金で彩られた巨大な城がそこに建っていた。蒼太が今まで見てきたどの城よりも豪華絢爛、守るというよりも見るものの目を楽しませる、権威を象徴するかのような豪勢さに龍之介は呼吸を忘れた。

「よお、俺は石川だ。指示は見たか?」

突然後ろから話しかけられ、龍之介は驚く。振り向けば同じ歳ぐらいの男が立っていた。よく分からなかったが、指示とやらを見ていないのは確実なので首を横に振る。

「ドラム缶を見てみろ、貼ってあるはずだ」

石川の言う通り、ドラム缶には何かが貼られていた。シールだ。海に入れられる前ドラム缶を叩いたと思っていたが、これを貼っていたのかもしれない。それを手に取って読んでみる。

『妹とその家族が無事に居て欲しいなら、玉手箱を奪ってこい』

シールと一緒に写真が貼られている。妹一家が公園で遊んでいる写真だった。龍之介はそれを見た瞬間、シールに書かれた指示が単なる脅しじゃないことを実感した。

「それで、名前は?」

石川はこっちの動揺を無視してそう聞いた。それに一瞬嫌な気持ちになったが、直ぐにこの石川という男も自分と同じ状況なのだと理解して落ち着いた。

「宮脇っていいます」
「オーケー、宮脇。一応俺の認識を確認しときたいんだが、これは竜宮城だよな?」
「そうだと思う。玉手箱って指示にもあるし」
「だよな。ったく、これ生きて帰れんのかよ」

石川は小声で愚痴りながらも、城の正面へと堂々と歩いていった。鬼が出るか蛇が出るか、それとも鯛やヒラメが舞い踊るのか、この後に何が起きるかは誰も知らなかった。

◇◇◇

「これ開けていいのかな」
「さあな、でも開けるしかないだろ」

龍之介と石川はその伸長の五倍ほどもある大きな正門の前で囁きあっていた。城の目の前まで来たは良いものの、当然アポなしの訪問で迎えがあるわけも、またインターホンがあるわけもなかった。

「お前ら何者だ! どうやってここに来た!」

突然、頭上から怒号が飛んできて二人は石のように硬直する。龍之介が慌てて上を見上げれば、そこに居たのはホオジロザメだった。思わず逃げ出しそうになるが下手に動けば何をされるか、少しだけ残った理性で体の恐怖を押さえつける。警備のような役割なんだろう、いつの間にか二人の周りを十数匹のサメが囲っていた。

「あの~海でおぼれたと思ったらここに居たんですけど」
「本当か?」
「ホントですって。ここはどこなんですか、それにあなたたちは一体?」

石川はサメに怖気づく様子もなく、毅然とした態度で嘘を並べた。その間、龍之介は周囲のサメを恐れ縮こまっていて、結果としてその龍之介のおよそ侵略者にあるまじき態度も相まって、こちらに悪意が無いと判断したのか、ホオジロザメは「とりあえず姫さんに相談する。それまでは牢に入ってもらう」とだけ残して去っていった。

◇◇◇

六畳ほどの部屋に座布団とちゃぶ台があるだけの部屋に二人は一時間ほど閉じ込められていた。城の中に入るという第一関門は突破したものの、その部屋からは出られそうにない。いくら見たことが無い不思議な景色だと言っても窓から見える外の景色に飽きてきた龍之介は石川に話しかけた。

「あのさ」
「あ?」
「どうして玉手箱なんか欲しがるんだと思う」
「玉手箱を武器として使うんだろう。今は組の跡継ぎ争いも熾烈らしいしな」

その石川の話を聞いて龍之介は素直に感心した。そんな活用法があるのかと驚き、同時に人間の発想の恐ろしさに少し恐怖も覚えた。

「なあ。どうして竜宮城っていうか知ってるか? なぜ竜の名をこの城は冠すのか」
「いや、知らない」
「竜……いや龍はな、この世界に5柱存在している」
「石川、何の話をしているか分からな……あ、」

その時、いつの間にか来ていた1匹のタツノオトシゴが牢の扉を開けた。

◇◇◇

「ようこそ竜宮城へ」

口をきかないタツノオトシゴの誘導のままに後ろをついていけば、そこは大きな客間のようだった。2人分の食事とは思えないほどの量がある料理と2人分の食器がテーブルに並んでいた。その前で小さくお辞儀をして歓迎の言葉を述べたのは一人の少女だった。人の形を見るのはこの海底に来てから初めてだったので、龍之介は少し動揺してしまう。

「私は乙姫と申します。先ほどはホオジロさんがご迷惑をおかけしたようで……申し訳ありません」
「い、いや! 全然、はい、大丈夫ですよ!」

相手が浦島太郎の伝承で太郎に玉手箱をあげたあの乙姫ということ、そして乙姫の丁寧な謝罪に咄嗟に石川は謝罪する。それに乙姫は優しく微笑んだ。

「こんな場所まで来てしまうとは災難でしたね。明日の朝には地上へと届けましょう。今日のところはゆっくりとお休みください」
「えっ、良いんですか!?」
「もちろんですよ」

乙姫はとても美しく、可憐で、知性をその目に宿らせていた。その上、迷い込んだ人間を地上まで送り届けてくれる優しい人なんだと龍之介は感動した。

それからは楽しい時間がしばし続いた。勧められるがまま食事を楽しんだ。どの料理も新鮮で見たことがなくて、龍之介が今まで食べたどんな食事よりも美味しかった。魚たちの舞も素晴らしかった。スイミーのようにたくさんの魚が集まって1つの形を作り、動かすところは圧巻だった。

少し場が落ち着いた時、龍之介は核心に迫った。

「あの帰る時って、玉手箱とかって貰えるんですか?」
「玉手箱……ですか」

そこで途端に乙姫の言葉のトーンが下がった。失敗したか? と龍之介は唾を飲む。その横で石川は極力気にしてない素振りを装いながら酒を煽った。

「申し訳ないのですが、あれは危険なので渡さないようになったんです」

乙姫から合法に玉手箱を受け取れないならば、どうにかして力づくで手に入れる必要がある。恐らくは盗むという選択肢になるだろう。龍之介はそれがたまらなく嫌だった。乙姫の純粋な好意を裏切るようなマネはしたくなかった。

「祖母が……」
「え……?」
「祖母が病気になってしまって。命こそあるものの、病院で植物状態になっているんです」

気付けば龍之介は嘘をついていた。

「喉に穴を開けられ、全身にチューブが巻かれて、動かないようにベットに固定されている。声も出せず、祖母自身の意思は尊重されない。ただ生かされているだけの祖母を私はもう見たくないのです」
「そんなことが……」
「もし玉手箱があれば、安らかに老衰で逝ってもらえると思ったんですが……いや、禁止されてるなら仕方ありませんね」

思ってもいないことがスラスラと言葉になって出てくる自分自身に龍之介は驚いた。ずっと自分に嘘をつき続けていたから、自分の行いが何を引き起こすかを知らないフリをし続けていたから、いつの間にか平気で嘘をつける人間になっている。龍之介は悲しくなった。だがそれでも玉手箱は必要だ。家を出ていくまで、いつでもずっとたった一人味方をしてくれていた妹だけは自分の行いで不幸せにするわけにはいかない。

「ぐすっ……分かりました……玉手箱を用意しましょう」

いつの間にか乙姫は涙を浮かべて鼻をすすり、真っ赤に目を腫らしていた。乙姫は悪意に触れず育ったがゆえに、人よりもいくつも純粋で優しかった。

「本当に……本当にいいんですか?」
「そんな話を聞いてしまっては渡さないとは言えません。ええ、必ずやお渡ししましょう」

◇◇◇

帰り道は亀が送ってくれた。浦島太郎と同じように背中に乗って二人は水面へと上昇していく。そんな中で龍之介を乗せる亀がこう呟いた。

「あなたはよく龍神さまに似ておられる」
「龍神さま?」
「竜宮城の守り神、そして乙姫様のお父様でございます」

そういえば石川がそんなことを言っていた、と龍之介が後ろを見れば石川もこっちを見て「ほらな」という顔をしていた。

「正しい優しさのために自身の力を振るえる目をしているのです。だからでしょう、乙姫様が初めての嘘をついてまで龍神さまから玉手箱を貰ったのも」
「えっ……?」
「そしてそれをあなたに差し上げたのも」

龍之介は出発する時、乙姫が走って渡しにきた風呂敷を眺めた。乙姫は自分がついた嘘によって、そこまでしてくれた。自分を龍神さまと同じだと思ってくれたのかもしれない。
龍之介の中で何かが変わった。

◇◇◇

「で、例の箱は」
「これです」

龍之介は丁寧に乙姫が巻いてくれた風呂敷を広げていく。中からは真っ黒の箱が出てきた。その艶のある黒は部屋の内側を反射して、部屋に居た闇金の元締めらしき男、いつも龍之介に指示を出している明石と名乗る男、それと見知らぬ金回りの良さそうな奴らが5人ほどの全員が映る。

龍之介はちらっとドアの方を見た。石川が手筈通りにきちんと外側からドアを施錠してくれているのか、もう確かめるすべは無い。だが、それでもやらなければならない。

龍之介は玉手箱の蓋を開ける。現れた煙は龍のように瞬く間にその場にいた全員を呑み込んだ。

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