返事をするから、と呼び出されたのは校舎裏の桜の下だった。布団に潜ってスマホを見て、もう寝るだけだった僕は急いで勝負服に着替える。親には、コンビニに用事があったのを忘れてた、と伝えて外へ出た。
この町の夜は暗い。たまの週末に都会の方へ遊びに出るとその事実がしみじみよく分かる。駅前で比較的立地の良い我が家から出ても、そこには1、2本の街灯の下を除いた全てが暗闇に支配されている世界があった。
学校の通り道の途中にはコンビニがある。春とはいえまだ肌寒い季節、ホットスナックでも買って行こうか。そう言えば、僕は彼女が買い食いをしているところを見たことがない。彼女、佐倉桜はミステリアスだ。彼女はクラスの馬鹿どもがスマホゲームで騒いでいるときも1人静かに窓際で本を読んでいるような女の子だった。僕が惚れてしまったのも、彼女のそういうところだ。バカ騒ぎの輪の中で、ふと正気に戻って教室を見回したときに偶然ぶつかった彼女との視線。きれいな人だ、と思った。いることは知っていたけど、話すほどの関係性じゃない。そんな現状をブッ壊すぐらいの一目惚れだった。
今日は、あの日から大体二か月ぐらいだろうか。何回か二人で映画を見に行ったりしたし、本屋で新刊を横目に歓談もした。そして、僕は良きところで告白をした。一世一代というには地味すぎたかもしれないが、今夜それの答え合わせがあるということに、僕は心震わせて学校へ向かう坂道を登っていく。
「ごめん、待った?」
ベンチに座り、茶色の背表紙の文庫本を読んでいた佐倉はこちらに目線をよこす。
「いや、私がこんな時間に呼び出したのが悪かったよね」
謝るような口調で佐倉は言った。
真っ暗とはいえ、町唯一の桜であるこの木には「夜桜が楽しめるように」とスポットライトが取り囲むように設置されていた。佐倉は悪かったよね、と言った後再び手元の本に目を落としてしまう。向こうからの言葉に全感情を委ねている僕が彼女の至福の時間に口を挟んでいいわけもない。山の上に通っている高速道路を走る車の音と、彼女がページをめくる音のふたつがこの場の全てだった。
パタン、と彼女が本を閉じた。彼女は座っていたベンチから腰を上げ、僕のまっすぐ前5メートルの場所に立った。ごくり、と唾を飲み込むのは僕。
「まずはそうね、好意を持ってくれてありがとう」
いつも通りの口調の彼女に僕は少し安心する。彼女はこういう、ちょっと遠回りな物の言い方をする。
「先に一つ聞いて置きたいんだけど、君は私のどこが好きなの?」
大丈夫だ、こういう質問なら即答することができる。
「周りに流されない芯みたいなのを持ってるとこ」
「ふーん、君の私を見る目はそんな風だったんだ」
バチン、と音がして桜を照らすライトが全て切れた。周囲は真っ暗になる。驚いて狼狽する僕に対して彼女はほとんどたじろぎもしていないので、この消灯は彼女が引き起こしたものなのだろうと予想する。目が慣れるのにはもう少し時間がかかりそうだった。
「さて、この二か月で君について分かったことがいくつかある。君はさ、」
高速道路を通りかかった車のヘッドライトが向かい合った僕らを照らす。僕の見た佐倉さんは悲しそうな顔をしていた。
「私のことなんてなんにも見ちゃいなかったんだね」
「そんなことない!」
僕は声を張り上げた。ここからでもまだ、彼女の決定をひっくり返せる可能性があるならそこに賭けるしかないから。
「僕は君のことを知ってる! 本が好きなこととか、恋愛映画が嫌いなこととか、コーヒーはミルク派だとか!」
しかし、言葉を引き継ぐように彼女は言った。
「じゃあ私が未だに親譲りのガラケーを使っているからクラスに馴染めていないこととか、新品じゃなく古本しか買えないこととか、今の今まで家の仕事をしてたことも知ってるの?」
彼女は僕の足元に本を投げ捨てた。
「読んでよ」
無機質な声で彼女は言った。
開い上げて一文字目を探すも、黒の活字は闇に沈んで見つからない。分かるのは、いくつもの行があって、そこに何かしら書かれているらしいという、雲をつかむような情報だった。苛立ち、焦りながら本を眼前に持ってきてもそれはこれっぽっち変わりやしなかった。
「じゃあね」
ヘッドライトがまたしても僕らを照らした。今度は、お互いに向き合ってはいなかった。車が通りすぎ、再びの暗闇だ。聞こえるのはただ彼女の足音だけ。彼女から渡された本を握る手は震えていた。
僕は、ようやく暗闇に馴染み始めてきた目で、ただ彼女の輪郭をなぞった。
