「お~い、助けてくれ〜」
右上の隅、目が合っている監視カメラに話しかけてみる。
時計なんてないが、意識が覚醒して既に一時間は経過したように思われる。こうして拘束されている以上、犯人が居るはずだが、そいつは一向にこちらに接触してこなかった。
──まァ、フィクションじゃないもんな。
この誘拐および監禁の目的が僕の両親への身代金の要求だとしても、もしくは性的欲望を満たすためだとしても、それとも僕の想像が及ばない何かだとしても姿を見せるのは得策ではない。ただそれでも食事と水分補給ぐらいの面倒は見てほしいのだが、それも黙って願うしかない。下手に要求するのは逆に身を滅ぼしかねないからな。
椅子に拘束されている状態で首が回る範囲で部屋を観察してみる。自分が部屋の中心にいるとすれば、六畳ぐらいの洋室だろうか。奇しくも僕の部屋と同じ大きさだ。天井に丸い変哲もない照明、前には小さなテレビが置かれていて、その奥はカーテンがかかっていた。右と左の壁の見える範囲には窓もドアもない。あと有るものは右上の監視カメラぐらいで、まるで監禁するためだけの部屋のような、そんな無味無臭を感じさせられた。
──常習犯なのかもな。
だとしたら相当マズい。殺人より誘拐の方が数倍難しいというのは有名な話だし、犯人は相当に狡猾でかつ慎重なんだろう。ということは足がつきやすい身代金の要求をするようなことはしていないかもしれない。
──あとは……?
僕がいつどうやってここに連れてこられたのか、それが謎だった。
最後の記憶は、学校から帰宅して制服も脱がずに自室のベッドで寝転がったのがそうだ。明日から連休だからって夜更かしするために昼寝をした。そうして起きたらこの状況なのだから訳が分からない。もしかして親に売られたのだろうか、現代日本で人身売買なんてあるとも思えないが、それなら家から誘拐されたのも頷ける。
「腕、痛いなぁ」
思わずそう呟く。
両手が後ろで細くて冷たいワイヤー? のようなものでキツく縛られていて、それが腕首に食い込んで痛かった。少し揺らしてみると固くて少し重い箱が手のひらにぶつかるし、南京錠──ダイヤル式かシリンダー式かは定かじゃないが──で固定しているのだろう。足首も片脚ずつ椅子の脚にロープで固定されていて動かせそうにない。
たった1人、孤独の中信じられるのは自分だけ、俺は少しでも体力を温存するために目を瞑った。、
◇◇◇
何十時間経ったのか、何日経ったのか、何度か──正確には5回だが──気を失うように眠ったせいで時間の感覚はとっくに失われていた。
垂れ流した尿でズボンが張り付いて不快だ。ぐじゅぐじゅという嫌な音と悪臭で鼻が曲がりそうになる。水分を取らず生きられるのは三日が限界だとどこかの記事──ドキュメンタリー番組だった気もする──で見た気がするが、ならばもう僕はその瀬戸際まで来ているのだろう。
──このまま死ぬのか?
うるさい。やけに電灯の音がじじじじとうるさい、頭がおかしくなりそうだ。
気持ちが悪い。頭痛とめまいで目を開けても閉じても世界が回っている、頭がおかしくなりそうだ。
寒い。後ろ手で縛られている腕の、素肌と椅子が触れている部分から体温が奪われていくような感覚、頭がおかしくなりそうだ。
──もう時間だな。
まだ僕は死んでない。
──あぁ、死んでもらっては困る。
じゃあどうしてこんなことをする。
──俺自身が望んだことだ。
馬鹿なことを言うな。
──もう時間だ、前を見ろ。
虚ろな視界で僕がその言葉に従えば、それとほぼ同時にずっと沈黙していたテレビが点いた。映ったのは不思議な画面だった。ぐるぐると極彩色が回っているだけで、酔いそうなのに、不思議と心が落ち着いてくる。
それを見ているうちに僕は再び意識を失った。
◇◇◇
番号「0000」を開錠番号「0001」にあっという間に変えて、腕の枷を外せばそのまま足のロープも直ぐに外す。63回目の別人格への自己監禁ともなれば、この作業もあっという間だ。
「ごはん置いとくね」
「おう、ありがとう」
母が部屋に入ってきて少し離れた床にお粥とみそ汁を置いてくれる。俺は汚れた服を着替えて、衰えた筋力なりに這いずって味付けの薄いそれを食らう。
家具を片す下準備も、終わった後の汚れた部屋の掃除や体の不調も、逮捕されるリスク無しで人が衰弱していく過程を存分に観察できることを考えれば、あってないようなものだった。それにビデオを買う客には悪いが、俺だけは感情も思考も楽しめる特等席だ。これ以上に最高な立場は無いだろう。
──同感だね、あさましく恥ずかしい下衆な自分を特等席から観察できるのは最高だ。
罫線の中からそんな声が聞こえた気がした。
