海の味覚と外なる神

 「海ってみかくがあるんだよ!」

 少女は海の好物を教えてくれた。たこさんウインナーと甘い玉子焼きらしい。
 それは君が好きな食べ物だろう、という言葉を俺は飲み込む。 夏らしいワンピースを着た少女、九歳ぐらいだろうか、娘がもし居たら同じくらいの年齢だろう。俺はそんな少女と果てしない砂浜を歩き続ける。落ちゆく太陽の眩しさのせいか目はあまり開かない。

 「もう日が沈む、今夜は冷えそうだ」

 私の言葉に少女はなんら返事をせず、ただ軽快なスキップで俺よりもずっと前に行く。
 そこで、なにか違和感を覚える、それは少女の先の言葉。みかく、この年頃の子が使うには少し難しい言葉な気がした。

 「味覚なんて言葉どこで知ったんだ?」

 俺の問いに少女はゆっくりと振り返って首を傾げた、直角に。折れるはず、しかし骨の音はしない。あるのは波の音と誰かの叫び声だけ。
 ため息をこぼす、少女は止まったままだった。 

 翌日、俺はまた少女と砂浜をふらつく。

 「海って味覚があるんだよ」

 少女は海の好物を教えてくれた。依然変わらないのは、たこさんウインナーと甘い玉子焼き。そこに増えたのは人間だった。
 また夕方、踏み出す度に足元に海水が染み出る砂浜を二人で歩く。沈む夕日でシルエットとなった少女は昨日よりも大人びて見えた。

 「こんなとこ歩いてたら靴下が濡れちまう」

 昨日よりも海側を歩く少女に訴えた。だが何も答えない。その場でしゃがんで、手のひらを海に浸しただけだ。その艶のある後ろ髪を見て俺は思う、何かが違うと。だが言葉は結べない。

 「明日はどうする?」

 俺の問いに少女はしゃがんだまま振り返る。つま先も膝も海の方向を向いたまま、上半身だけを後ろに回転させて。太陽がほぼ沈んで薄暗い中、少女の真っ白な肌だけが浮かんでいた。
 少女は、にへらと笑った。

 また翌日、俺は砂浜を歩く。隣のは海に脚を浸しながら俺に続く。

 「海には味覚があるんだ」

 少女のような何かは嫌いなものを教えてくれた。ビニール袋とペットボトル、あとは油らしい。
 日は完全に沈んでいるけど、月明かりでどうにかお互いの顔は見えた。隣の何かは海を進んでいるのに少しも音を立てない。

 ―――貝殻が、足に当たった。

 「俺は今、何をしているんだ?」

 何故か浮かばなかった当然の疑問、それが口をついて出た。霧に包まれていた思考が正常に働きだし、徐々に気付き始める、異様な状況に。
 隣に居るのは人間では無く、ここは現実では無い。いつからか、隣の化け物に俺は囚われていた。
 俺の言葉にソレはにっと口角を上げる。上げる、上げる、上げ続ける。そしてそのまま額で口角の両端は合流する。さっきまで表情があった場所は落ち、波に流されていった。ぽっかりと抜け落ちた顔の中心は底の無い穴のようで、俺は目を逸らした。

 「何をしているか? 私が成るまでの暇潰しに付き合ってもらった、夢の中で」

 成る、確かにソレは少女の姿から大人に成長して、そして今も服も肌も色が変わり続けていた。

 「私は海の怒りから産まれた化け物だ」
 
 化け物の足元で砂浜に埋まったペットボトルのフタが目立っていた。

 「お前たちが海を汚した、その怒りが私に力を与える」

 口が無いのにソレは喋っていることに気づいた。ソレの身体はもう海の色と変わらない。半透明の皮膚に俺は目眩がする。

 「死んでいった同胞へ人間の悲鳴を手向けにする」

 俺は悟った。
 そうか、これは報いなんだ。何も言うことは無い。目を瞑って、俺は裁きを受け入れることにした。

 「災厄は今、始まる」
 
 潮の匂いがぐっと強くなると同時に、ひちひちと細かい海水の粒が肌を傷付け始める。俺は痛みから逃げたくて、もっと強く目を瞑った。
 
 その時だった。

 「それは違うだろ、エアプ乙」

 突如、誰も注意を払っていなかった陸側からの豚のような声。

 「俺から言わせてもらうと(隙自語)、食物連鎖の頂点の人間が何をしようと勝手だろ。そもそも繁栄の為なら悪行だって許されるべきで、自己中に生きないのはエアプだけwwそれに地球がオワコン化しても、他の星に行きゃいいしw まぁ出来ないと滅ぶけど、コレ、少し考えたら分かることだから」

 そこに居たのはキモヲタだった。
 べたべたの髪と黒縁メガネ、赤のチェックシャツをベージュのパンツにぴっちりとインしたデブ。典型的なヲタクに俺は吹き出しそうになったが、それは我慢した。

 「ま、そこのチミ、名付けるなら冴えない氏の諦めは論外ってこと」

 キモヲタは俺を顎で指しながらそう話を締めた。

 「誰だ? どうやって入った?」

 化け物は冷静に聞く。

 「ブフォwwあっ失敬×2w 俺、一応『夢のアザトース(狂い火)』つって、知ってる? 五百はフォロワー居るんだけど、ソレっす。あ、ここのアザトースつーのは、クトゥルフ神話の外なる神の王で、ってんなこと言っても分かんねえかw」

 キモヲタ、いやアザトースは早口でそう言いながらどしどしと近付いてくる。

 「今はデート、マイプリンセスと散歩ってたらなんか異空間? に入っちゃった次第w」

 フィギュア片手に一方的に話し続ける彼に、俺は呆れ、化け物は動揺で言葉を失っていた。と、急にアザトースは俺の隣の化け物の姿を見て、思い出したかのように手をぽん、と叩いた。

 「っと、見た時から思ってたけど、オートロちゃんに寄せてるよね?」

 そう言って、アザトースは化け物の身体を下から上まで舐め回すように鼻息荒く観察し始める。「にゃふぉ」とか「原作再現ぢゃん、激アツなんだが?」とか言いながら。
 最後には何故か敬礼までしていた。

 「いやはや、『オシャ♡ラヴ』のオートロちゃんそっくりなの嬉しすぎて、嬉ション案件w てか完全再現すぎるってw ぶっちゃっけワザとっしょww」
 「えっ、いや違うし……」

 否定しながら化け物は頬を赤らめていた。俺はというと、オシャラブとやらを知らないので口をポカンと開けていただけだ。
 そんな俺を見てアザトースは急に指をさして、半笑いを浮かべる。
 
 「えっ、えっ? もしかして、オシャラヴを知らない!? おいおいおいおい、コレもう義務教育の敗北だろw ろせだって、義務教育ろせww」

 それから二十分ほどアザトースは俺にオシャラヴについて語ってきた。ちなみに途中からは化け物も熱く語っていた。

 「ま、俺にとって命より大切な作品ってワケ。君にもあるんじゃないか? 大切な何かってやつが」
 
 急にアザトースは真剣な顔で俺に問う。
 ふと、浮かんだのは近所でたこ焼き屋を営んでるおばあちゃんの顔。独り身で友達もいない俺を孫のように思って、いつも心配してくれる人だ。
 そうか、きっとみんなそうなんだ。何か大事なものがあって、それを守るために生きている。それは決して、今までの償いという理由だけで簡単に滅ぼされていいものじゃないんだ。
 
 「大切な何か、あったようだな。さて、冴えない氏よ、ここは一つ俺と手を組もうじゃないか」

 手を組む。それはつまり化け物に抗うということ。さっきまでの俺なら拒否していただろう。悪となる覚悟も無く、ただ自己満足で断罪を求めていたさっきまでの俺であれば。
 
 「俺もそう思ってたとこだ」

 もう、迷いはなかった。

 「俺たち二人でお前を」
 
 「「倒す!!」」

 
 こうして地球の平和はひとまず保たれたのであった。

 月の裏、宇宙船の中。

 「地球征服の障害となる海の神は倒せたようだな。ご苦労だった」
 
 帰還したばかりの部下を上司は労う。

 「とんでもありません」

 部下は謙遜して答える。
 それはアザトースと名乗っていた男だった。

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