未完 手紙

「すまないんですけど、その手紙ちょっと見せてもらっても大丈夫です?」 

赤緑色の珍妙な色眼鏡を付けた少女にそう声をかけられたのは、いつも通りドクレが郵便局から配達に出たタイミングだった。 

「個人情報なものでそれは出来かねます」 

 今日の配達区域は家の多いBブロックであり、こんなところで油を売っている時間はない。彼は柔らかな口調を務めながら、少女のかなり無謀なお願いを切り捨てた。

「そこを何とか! 私が見たところ君が抱えたその手紙束のうちのひとつ、それはどこにも縁が繋がってないんです。おかしいと思わないです?」

しまった、宗教の類だったか。縁やらなんやらを初対面からさも当然のワードであるかのように会話に混ぜ込んでくるのは、どう考えても不審以外何物でもない。先の戦争の後、頼るところのなくなった孤児や帰還兵に向けた怪しい宗教が流行しているというのも聞いた話だ。

「申し訳ないですが、急いでいるもので」

そう言って通り過ぎようとするドクレの前に、少女が両手を広げて立ちはだかった。彼女の着ているウール製らしい少しブカブカのセーターが揺れた。

「待った待った! もしかしたら危険物かもしれないんですよ!」

意志の強そうな緑の眼を横目に歩みを止めないドクレの、紺の配達員制服の袖を彼女はとっさに掴んだ。

「待ってって! ってうあぁっっ!!」

反射的に、ドクレは掴んできた彼女の手首を取り、地面に投げ落としていた。そして石畳の地面に腰をついて震える彼女の前にずいと顔を伸ばす。

「こっちは仕事なんだ。邪魔するなよクソガキ」

そのまま市街へと無心で足を進める。五件ほど配達をしていれば、先ほどあった不思議ちゃんのことなんて、頭の中からすっかり消え去っていた。

問題が発生したのは昼過ぎだった。昼に軽く軽食を食べたのち、さて配達に戻ろうと肩に斜めがけした鞄から一通の手紙を取り出した。震えてはいるものの丁寧な字で番地が書かれている。高齢の、几帳面な人が出した手紙なのだろう。白の封筒には赤い速達印が押されている。速達便は出来るだけ相手に直接渡すのが好ましい、とされている。ドクレはその手紙に書かれた住所に行き、ノッカーでドアを二、三度叩いた。中から出てきたのは汚れたタンクトップ姿の初老の男性だった。

「セルラ・リューゲン様でお間違いありませんか」

目のまえで顎髭をいじくる彼に問えば、

「んー、前に住んでたやつじゃないか? 俺は最近越してきたんだ」

と気のない返答がある。念のため近所に住んでいるらしい大家の住所を聞き、元住人がどこへ行ったか聞くことにする。速達便は通常配送の約五倍もの料金がかかる、配達人であるドクレですら

「これをぼったくりと言わないならなんと形容すればいいのか」

と悩むほどのシロモノなのだ。これぐらいのサービスをするのも規定範囲内だろう。

大家の家に行き、出てきたおばさんに元住人であるセルラの行方を尋ねるも、首を振るばかりだった。彼はどうやらあの煤ぼけた家に一人で住んでいたらしく、戦争が終わる少し前にフラッといなくなったらしい。

宛先不明の手紙は送り主の住所に差し戻しだ。見れば送り主の住所はだいぶ辺境の村らしい。セルラが何者なのか、差出人とどういう関係なのか、そしてこの手紙の中身が何なのかは気になるところだが、それを覗き見る権限はドクレは持ち得ない。彼ができるのは唯一、その白封筒を「送り主返却」の木箱に投げ入れることだけだった。

夕暮れが過ぎ、街が電気灯のぼやっとした明かりで満ち始める。ドクレは一日中荷物を背負い続けて曲がりかけの背骨を伸ばしながら、自分自身のアパートに向かっていた。と、進行方向に今朝見た覚えのあるセーターが飛び出てきた。

「待ってましたよ、私クソガキなので」

彼女は胸を張ってそう言った。

「宗教なら結構、戦争で死ななかったんだ。俺はもう十分に神様に愛されてるよ」

「違うんです! 私は科学の徒、宗教なんて腹の足しにもならないクソッタレ、信じちゃいませんよ」

彼女は掛けているメガネをすちゃりと鼻の上に置きなおす。

「これは、人の縁が見える眼鏡なんです。機構を説明すれば四半世紀はくだらなくなってしまうので割愛しますが、これはあくまで科学、メカニズム、テクニカルの領分なんです」

まくしたてるように彼女は言った。神をクソッタレ呼ばわりしたのは置いておいて、ドクレは個人的に、この少女がどうして自分に執着するのか気になった。

「で、その色眼鏡で俺を見すくめて何がしたいんだ。俺の交友関係の少なさでも確認してるのか? そうかもな、友はみんな空の上だ」

「いえいえいえいえ、まさかまさか。あなた自身はとても強固に繋がれていらっしゃる。勿論友人がたとも、発信元不明の糸が何本か、頭の後ろあたりに絡まっていますよ」

少女は彼女自身の後頭部をトントンと叩く。おそらくドクレのその位置に、彼女の言う縁とやらが引っかかっているのだろう。

「私が気になっているのはですね、今日あなたが持っていた手紙の中の一通についてです。あの手紙には一本の縁もなかった。あれはたどり着くことを一切考慮されていない手紙だったのです」

彼女は、心当たりありますよね。たとえば、配達できなかった郵便、とか。とドクレの顔を覗き込む。今日配達できなかった手紙は一通だけ、例の速達便だけだった。なぜこの少女はそんなことを知っているのだろうか。郵便局長の娘だとしてもそんなことは知りえないし、当てずっぽうで言ったにしては当てはまりすぎている。まさか、彼女の言うことが全て虚言ではないのだろうか。

「いい表情です。私は、せっかく作ったこの眼鏡が不良品でないことを証明したい。本当にあの手紙に、一切の縁が結ばれていないことを確認したい。そのために、あの手紙がどういう意図で縁を失ったのかに興味があります」

狼狽するドクレを前に、少女は改めてかしこまってこう言った。

「申し遅れました、私の名前はカリスティアーノ。あなたの送り主差戻の旅に同行を望むものです」

月光照らす石畳の裏道に、彼女のメガネがきらりと光った。

 

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