府大池にサンダルひとつ

「あれ、何?」
 横にいる美月がそう呟いた。私は彼女の指差した方を見た。真夜中の11時であったため、光は街灯のみで、とても暗かった。

 さらに、彼女の指差した先は、街灯の光が届かない場所だったため、私には全く見えなかった。

「見えん? あそこの地面、なんかキラキラ光ってない? そこの近くにサンダルみたいなのあるやん?」
 私にはキラキラしたものは、見えなかったが、ゆっくりと彼女の指差した方に近づくと、彼女の言う通り暗闇にポツンとサンダルが一足置かれていた。

「なんでサンダルが、こんなとこにあんの?」
 サンダルが置かれていたのは、中百舌鳥キャンパス名物の府大池の淵、葦のような植物がボーボーに生えた水辺の前に、ちょこんと泥のついたサンダルが揃えられていた。

「これって、もしかして…? やばいやつ? 

 自殺的な…?」
「それはないだろ。」
 私はキッパリと言った。

「なんでよ?」
「…じゃあ、聞くけど、府大池で自殺したい?」
「…。」
「ドブ池で死にたくはないだろ?

 府大池は見たら分かる通りのドブ池だ。池の底はヘドロがたっぷりだし、池の水は下水の匂い、汚い水に住む虫や魚がわんさかいる。

 死に場所には最悪だ。自殺者とて、死に場所は選びたいだろ。」
「じゃあ、何、ただのゴミなん?」
「そうでも無いかな?」
「なんで?」
「そのサンダルは、つま先を池の方へ揃えて置かれているから、人為的なものを感じるし、サンダルの上に乾いてない泥が付いてる。

 泥はなんか臭いし、池の底のヘドロだろう。だから、誰かが、ついさっきまで、池の中から陸に上がって、池の底の泥を運んで来たってことだろうな。」
「…何のため?」
「さあ?」
「だって、こんな真夜中の誰もいない大学の池に入って、何してんの?

 私らだって、研究室に忘れ物なかったら、こんな真夜中にこやへんで。研究室にいつも居るうちらの教授ですら、もう帰ってたやろ。

 例えば、大学の池の調査とかだったとしても、夜にやる? 調査やとしても、なんで、明かり点けへんの? 池の方は何も光ってへんよね?」

 確かに池の方は植物でよく見えないが、街灯以外の光はない。
「そうだなぁ…。」
 私は彼女の質問攻めに、適切な答えを出せなかった。そんな中、彼女は突拍子もない推理を始めた。

「河童やない?」
「はあ?」
「だから、河童! 雨具ちゃうで、妖怪の河童や。

 きっと、府大池に住む河童が私らみたいな真夜中にうろつく公大生を捕まえて、池の中へ連れ込み…

 バクっ!」

 彼女は私を驚かせるように、手をパンと叩いた。私はまんまと驚いて、体をびくつかせた。

「びっくりした!」
「どう、あり得るんちゃう?」
「…そうじゃないと思うけどなぁ? 府大池の河童伝説みたいなのは聞いたことないけど…。」
「でも、河童だったら、水かきが邪魔で、サンダル履けへんか…。」
「引っかかる所、そこ?」
 私は頭を悩ませていたその時だった。サンダルの近くの草がガサガサと揺れ始めた。

「河童ちゃうん?」
「んなわけ…、あるのか?」
 私達は息を飲んで、揺れる草むらを見つめた。草むらから大きな影がこちらに近づいてきた。さらに、ポタポタと水の滴る音が、恐怖を誘う。

 私はここまで来たら、河童でも何でも見てみたいと思い、ポケットから取り出したスマホのライトで、池の影を照らした。

 すると、その影は河童ではなく、人間だった。さらに、見覚えのある人間だった。

「教授?」
「えっ、ほんまや。うちらの教授やん。」
 私達はそう呟くと、教授も眩しさを和らげるために咄嗟に出した腕の隙間から私達を見た。教授はいつものスーツや白衣とは違い、泥々の普段着を着て、水浸しの右手に、タモを持っていた。

「君達、こんな所で何をしてるんだ?」
 私達はぽかんとした。

「……その質問には、教授が答えるべきでは?」
 私達の間にしばらくの沈黙が流れた。教授は唇を噛み締め、何も言いたくは無さそうだった。私は口を開かない教授に質問をした。

「教授、こんな真夜中の池で何してたんですか? 教授の専門は宇宙工学ですよね? 何かの研究ですか?」
 私は溢れ出る疑問を教授にぶつけた。

「それは…。」

 教授は目を逸らし、言いよどんだ。

「…このことを誰にも言わないか?」
「内容に寄ります。」
 私は瞬間的に違法な香りを嗅ぎ取り、そう答えた。

「そうか…、でも、もう無理か…。」
 教授はぶつぶつと独り言を言った。

「探し物をしていたんだ。」
 教授は覚悟を決め、そう言った。

「何の?」
「…結婚指輪。」
「えっ。」
 私達二人は声をシンクロさせ、驚いた。私達の驚いた顔を横目に、教授は話し始めた。

「最近、この池に結婚指輪を落としてしまってね。

 探したいが、この府大池に入るには、色々と許可がいるんだ。結婚指輪を見つけるためだけに、大学に掛け合って、堂々と許可を取るのは、大学に迷惑だし、私も恥ずかしいだろ。

 だから、真夜中の人のいない時間に、誰にもバレないよう、指輪を探していたんだよ。」
 だから、バレないために、明かりをつけなかったのか。

「…じゃあ、そのサンダルは教授のですか?」
「そうだよ。裸足で池に入ると、足を洗うだけで、余分な洗濯物が減るからね。」
 変な所で理系の教授だなぁ。

「まあ、大体、教授の奇行の謎は解けました。

 じゃあ、教授はいつからこんなことしているんですか?」
「かれこれ、いつも仕事帰りに探し続けて、半年かなあ。」
「半年!? 

 それって、もう…。」
「そうかもなあ。君達にもバレたし、諦めどきかもなあ。」
「そんなことないんちゃう?

 私がこんな暗闇で、教授のサンダル見つけたの、なんでか分かります?」
 私はその言葉を聞いて、地面を見渡した。すると、さっきは見えなかった小さな光が教授の足元にあった。

「教授、足元を見てください。」
 私がそう教授に伝えると、教授はその小さな光に気が付き、その光を拾い上げた。

「…あった。

 私の結婚指輪だ!」
 教授は、小さな宝石のついた指輪を見つめて、今までに見たことがないくらいに喜び、膝から地面に崩れ落ちた。

「教授が出てきた時の泥に混ざってたんやね。」
「ありがとう。今すぐ帰って、妻に報告するよ。」
 そう言って、教授はサンダルを履き、泥まみれで、走り去っていった。私達はこの数分の急激な展開に、呆気をとられ、私達はしばらく黙り込んでしまった。

「やっぱり、教授は変な人が多いな。」
 私は静寂を嫌って、彼女にそう話しかけた。

「そうやね。確かに変人やね。」
 彼女はそう言うと、少し間を置いて、話を続けた。

「 ……でも、こんな真夜中、結婚指輪を見つけるためだけに、この池に毎日入れるなんて、素敵やね。」
 彼女は少し真剣な声でそう言った。

「そうかな?」
「そうやよ。

 私もそんな恋愛してみたいわ。」
 彼女は頬を赤らめながら、私の方をちらりと見つめた。

タイトルとURLをコピーしました