オレは天才だ。それも、生まれつき。
3歳、生まれて初めてボールを蹴った。脚を振る。ボールが飛ぶ。ただそれだけのことが何より楽しくて、夢中でボールを追いかけた。5歳、動画サイトで色んな選手のプレーを見た。バロンドーラー、サッカーの王様、神の子。この世界には、常識という枠、あるいは人としての枠すら超越するようなスターが存在することを知った。そんな彼らのプレーに憧れ、片っ端から真似をした。画面の向こうで起こる奇跡がオレの足元で起きるようになった頃、もうオレを止められる者は誰もいなくなっていた。
小学生になり、近所のクラブチームに入った。そこでもオレは一番だった。2つも3つも上の、10cmも20cmも上の、10kgも20kgも上の先輩ですら、オレを止められない、躱せない、追いつけない。オレには、分からないということが分からなかった。ボールが収まらない、上手く扱えない、コントロールできない。同じチームの友達は、色んなことで悩んでいたが、全て訳が分からない。世界で一番有名な日本人プレーヤー曰く、「ボールは友達」らしい。だが、オレの考えは少し違う。「ボールとはオレ自身」なのだ。ボールは身体の一部。そう考えれば、呼吸するように、歯を磨くように、寝返りを打つように、いちいち意識する必要も無く、全て自分の思い通りに動く。みんなが「ボールを足で扱う」などという回りくどい認識でプレーをしているのが、不思議で仕方なかった。
誰もオレに追いつけない。ただ、それでも一人、オレを追いかけ続け、そして常にすぐ後ろを走り続ける奴がいた。それがオレの兄の佑一。オレより1分だけ早く生まれた、双子の兄。オレは世界一の才能を持つ、世界一の天才選手だが、佑一はオレの兄弟なだけあって、世界二位の才能を持つ、世界二位の天才選手だ。5歳のころから、常に同じチームでプレイし、数えきれないほどのゴールを共に決め、数えきれないほどの称賛を共に浴びた。二人なら、W杯決勝だろうが、CL決勝だろうが、フットボールフロンティア決勝だろうが、どんな舞台にだって立てる。そして最後には二人のゴールで優勝を決め、二人で優勝トロフィーを掲げるのだ。オレたちは、二人で最強だ。
頂点への道は孤独なものである。偉大な先人たちが上ってきた階段を、三段飛ばしで駆け上がる。当然隣には誰もいない。オレと一緒に走り始めたやつ、そしてオレの前を走っていたやつすらも、遥か後方へ置き去りにして走り続ける。〇〇歳で全国大会出場、〇〇歳でユース昇格、〇〇歳でアンダーの日本代表……。先人たちが遺してきた、結果という名の一里塚だけを目印に、ひたすら上へ、ひたすら前へ。立ち止まっている暇はない。頭では理解していても、時折どうしようもない孤独に襲われる事がある。その孤独に耐えかねて、恐る恐る後ろを振り返れば、いつだって佑一が走っている。ただそれだけ。ただそれだけのことで、再び長く果てしない道を走り続ける元気が湧いてくるのだ。
オレは、オレに才能を与え、そして兄を与えてくれた神様に深く感謝する。
喝采や称賛なんてものは浴びるほど受けてきた。だが、まだ足りない。もっと、もっとだ。オレは、兄と共に頂点への道を駆け抜け続ける。
俺は天才だ。それも、生まれつき。
3歳、生まれて初めてボールを蹴った。脚を振る。ボールが飛ぶ。ただそれだけのことが何より楽しくて、夢中でボールを追いかけた。5歳、動画サイトで見たスーパーヒーローたちに憧れた。画面の向こうの彼らが起こす奇跡に魅了され、必死に練習した。来る日も来る日も。だが、もちろんレジェンドたちのプレーなど、5歳の少年が一朝一夕で再現できるはずもない。諦めかけていた俺の隣で、弟の佐一は、いとも容易くそれを再現して見せた。「どうやったらできるようになるの?」と聞くと、佐一は「練習したらすぐできるようになるって!」と屈託のない笑顔でそう言った。朝から晩まで練習を続けた。来る日も来る日も。
小学生になり、近所のクラブチームに入った。練習の甲斐あって、レジェンドたちのテクニックを不格好ながらも再現できるようになった俺は、佐一を除く同年代の奴らの中では一番だった。しかし、小学生は、学年が一つ違うだけで、体格、技術、メンタル、あらゆる面で圧倒的な差が生まれる。学年の壁というのは、どれだけテクニックがあろうと、そうやすやすと超えられるものではない。だが、佐一はそんな壁を軽々と乗り越え、2つも3つも上の先輩を手玉に取っていた。小学4年生になった頃、俺は5年や6年の先輩たちを押しのけ、初めてレギュラーに選ばれた。初めての公式戦。敵も味方も上級生に囲まれ、ほとんど何も出来ずに終わった。佐一はその試合でハットトリックを決めた。
中学入学が近づいた頃、俺たちが住んでいる県にある、ユースチームのセレクションに合格した。佐一には全国のユースからスカウトが来た。北は北海道から南は沖縄まで、入団、進学、寮生活、それらの費用は全てチームが持つからぜひ来てくれという破格の誘いを受けたそうだが、結局佐一も俺が受かったユースに一緒に入団することに決めた。その理由を聞くと、あの頃と変わらない屈託のない笑顔で、「だって祐一と一緒にやれるんだろ?あと家から通えるし」と言った。
中学に入学した後、俺は血の滲むような努力を続けた。全てはあいつに追いつくためだ。だが、俺が必死に前へと進む間、あいつがただ黙って待っているなんてことがあるはずもない。あいつとの差は縮まるどころか更に開いていった。中学卒業を控えた15歳、俺は生まれ持った才能と、これまでの努力のおかげで、U15の日本代表に選ばれた。佐一は飛び級でU17の代表に選ばれた。
この頃からだろうか。メディアが挙って俺たちのことを取り上げ始めた。『若き天才兄弟あらわる!!』『神奈川の神童兄弟、日本代表デビュー!!』『日本サッカー界の未来を担う、二対のダイヤモンド!!』。よくもまあ好き勝手に書いたもんだ。二対のダイヤモンドか。確かにそうかもしれない。ただ俺の方は、隣で眩く光る、恒星のような巨大なダイヤモンドの光に照らされて、強く光って見えている衛星に過ぎない。天才兄弟、神童兄弟。この表現の方が売れるから。俺も一緒に取り上げられるのは、ただそれだけの理由だ。
もし俺に才能なんてものが欠片も無かったなら、テレビの向こうで活躍するあいつを応援し、市役所かどこかに就職して、たまに来るテレビの取材に「あいつは自慢の弟です!」なんて言って笑えたら、そんな人生を歩めたら、いったいどれほど幸福だっただろう。あるいは、もし俺があいつの「弟」として生まれていたら、たった1分の違いに甘え、それを言い訳にし、やっぱ兄ちゃんはすごいなぁ、俺なんか全然敵わねぇやと言ってしまえたら…………。
だが現実に、俺はサッカーの才能を持って、あいつの「兄」に生まれてしまった。あいつと比べると、どれだけ小さく、不格好で、くすんだ才能でも、俺にはそれを捨てることができなかった。捨てられない才能を、みじめったらしく抱え、あいつの背中を必死に追いすがる。待ってくれ。先に行かないでくれ。俺も、俺だってお前の隣に立ちたい。お前の前を歩みたい。だって俺は、お前の「兄」なんだから。
俺は、俺に才能を与え、そして「兄」を与えた神様をひどく恨む。
喝采や称賛を浴びるほど、それは醜く形を変え、俺の心の底に澱のように溜まっていく。まだか、まだ追いつけないのか。俺は、今日もあいつを追いかけ、先の見えない道を走り続ける。
