シャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワ
蝉の声だけで脳の一コマが支配されるのでは無いのかとしなくてもいい懸念をしつつ、俺は前を歩く生脚に吸い寄せられるように追いかける。短いスカートから伸びる真っ白な健康的な太ももは扇情的であり、それでいて眩しかった。一つ歩くたびに舞うスカートの布が、汗で少し透けた白いセーラー服が、目を惹き付けて離さない。蛾のように俺はただただ醜く飛び続けていた。
宇波かなめ、俺が彼女のストーキングを始めて、今日で一ヶ月が経過した。別にかなめを恋愛的に好いている訳では無いが、消しゴム一つ拾う仕草に目を奪われたのも、それを渡してくれる時に少し手のひら同士が触れたのも、その時の夏の汗の味も、「ん、これ」という短くあまり感情の無い声も、妙に脳裏に張り付いていた。こっそり後で自分の手を舐めたのを見たクラスメイトの表情と言えば最悪だった。かなめの汗の味と差し引きしてぎりプラスぐらいだろうか。
それから一ヶ月。
かなめと会話をすることは無かったし、そもそも目を合わせるようなこともなかったが、俺の中で彼女の存在は膨張する一方だった。ショートホームルームが終わり、「さようなら」と挨拶をした後、かなめは人混みに紛れるように一人で教室を出ていく。校門を出て直ぐにイヤホンを付け、そこからは少し弾み気味に軽やかに歩く。夏の暑さを忘れさせるほど爽やかに黒い長髪を揺らして、しかしやはり暑いのか、道中にあるショッピングモールやコンビニに寄りながらも家に帰る姿を俺はずっと見続ける。俺も暑がりで、家に帰る時はよく同じよう冷房が効いた施設に寄り道してしまうので、その共通点が少し嬉しかった。そして、かなめが家に入ってしまった後も、俺はすぐには帰らずに少し離れたところで彼女が今、何をしているのかを想像した。今シャワーを浴びているのだろうか、それとも夕飯を食べているのだろうか、部屋着に着替えているのか、部屋の明かりが着いたり消えたりするのを外から眺めながら俺は観察し続けていた。
うん、エロい。
普段通りまっすぐ前へと歩き続けるその脚を見ながら、俺は単純なる思考の単純なる感想を呟く。可能ならばあの脚にしゃぶりつきたい。切り分けてしゃぶしゃぶ用と焼肉用、生食用に分けたい。そしてそんなことをした暁には、俺は生きた太ももを二度と動けなくしてしまうという大罪を犯した自分を恨みながら、出来るだけ目立つ形で自殺をするに違いない。
そんな思考に俺が集中していれば、突然彼女は俺の視線から逃げるように路地裏に入った。いつもなら絶対に通らない道、というか誰も通らないようなビルとビルの隙間だ。嫌われ者の生物しか生息していないような暗い細道だ。
バレたか?
いや、かなめは一度もこちらを振り返っていない。ならば、どうしてあんな横道に入っていったのか。果たして追いかけるべきか否か。冷静に考えれば追い掛けるのは悪手だ。あんな細い道に入っていけば直ぐに見つかってしまう。
まあ……行くか。
俺が冷静な判断が出来る人間ならストーカーなんてやっていない。蝉は俺を制止しているのか、それとも応援しているのか、変わらずうるさかった。
シャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワ
路地裏に入って、すぐに見えたのはかなめが右に曲がった瞬間。髪の毛とスカートだけが遅れて吸い込まれるように右に行くので、俺は慌ててその後ろを追う。ゴミ箱代わりの青いバケツを転がして、ネズミやら何やらを踏まないようにわたわたと走って、彼女が曲がった道に入れば、カランコロンという音と共に正面に見えるドアが閉まった。
そこにあったのは怪しげな店。外から分かる範囲で言えば、木製のドアとその横にある店の中をアピールするかのような巨大な窓。窓を覗くと、古びた棚に並ぶ埃の被った雑貨が所狭しと並べてあるのが見えた。どうやら雑貨屋のようだが、なんとなく違和感を覚えた。入るか、入らまいか。だからそんな判断を冷静に下せるほど俺は馬鹿じゃない、大馬鹿だ。そんな訳で少しだけドアを開けて中の様子を窺うが、人の気配がない。さっき入ったかなめの声も店員の声もせず、電気すら点いていなかった。電気が点いていないのにどうして仄明るいのかは定かではない。店の中は窓からの景色と同じで所狭しと迷路のように身長よりも高い棚が並んでおり、ヴィレヴァンのようで、隠れて入るには好都合だ。俺はドアが軋む音に呼吸と心臓の音を隠しながら、ドアベルが鳴らないようにゆっくりと体をねじ込んでいく。木のささくれが服に引っかかっているが、無視して進んだ。
店に入った俺がまず思ったのは、涼しい、だった。或いは寒い、かもしれない。俺自身かなりの暑がりであるから、この冷房はありがたいのだが一般的には過剰な空調に思えた。次に感じたのは汚い、だ。販売業とは思えないほどに商品のように並べられているガラクタは埃にまみれていて、年単位で客は来ていないように思えた。そんなガラクタの迷路を右、左、右、左、と出来るだけまっすぐ奥に進むよう足音を殺して歩けば、わりあい直ぐにレジカウンターが正面に見えた。もう店の奥まで来てしまったのだろうか、俺がそう思ってレジの奥にある控え室を覗き込もうとカウンターに身を乗り上げた、その時だった。
なにか肌色のものが視界の端に入った。俺は本当に条件反射的に、無意識に、ふっとそれがなにかを確認しようとして下を向いてしまい、
「……!?」
レジカウンターから後ろに落っこちてしまう。後ろにあった棚に腰を打ったが、そんな痛みがどうでもいいくらいに俺は動揺していた。
そこにはまずストレッチャーがあった。青色の、救急搬送で使われている車輪が付いたベッドだ。それが平然と置かれてあった。そして俺が目にした肌色とは、そこに寝かされている裸体のものだった。裸体とはかなめだった、魂が抜けたように目を瞑って寝かされている裸のかなめが、そこには居た。
俺はふらふらと立ち上がる。
かなめが生きているのか、それとも死んでいるのか。そんなことはどうでもよかった。かなめの裸をこの目に出来るだけ収めておかなければならない。あわよくばその柔らかさを味わうのも悪くないかもしれない、例えこれが俺への罠だとしてもだ。理性よりも重要な何かに、好奇心よりも低俗な何かに突き動かされるように俺は、今度はレジカウンターを回り込んで、かなめの横に立つ。
エロい。
詳しくは表現しない、というより出来ない。その大きすぎない膨らみも、慎ましく隠れてしまっている秘部も、折れてしまいそうに細い首も、裂けてしまいそうなハリのある薄く真っ白な肌も、表現するよりも早くエロいが勝った。呼吸が出来なくなるほどに俺はその裸体に吸い寄せられ、気付けば腕が伸びていた。あぁ、あと数センチであの膨らみに届く。それに触れてしまえば俺は俺でなくなってしまうような、しかしそれは進歩とも言えるような、不安とそれに優る期待が腕を伸ばし続け、
「あー、見なかったことにできるかな」
突如、後ろから投げかけられた男の声によって中断された。
「……あなたは?」
心臓が信じられないほどにうるさかったが、それを誤魔化すように俺は手をはたいて、男と向き合う。声が震えていなかっただろうか、分からないが、男は俺の目を見て少し笑った。
「なんだ、君か。……まぁいい、中へ来なさい。説明しよう」
男の年齢は分からなかった。白と黒が入り交じった髪の毛は初老にも見えるし、しかし若くも見える。そんな男は俺を見て、まるで見知った人間を見たかのように安心した表情を浮かべ、背中を向けて手招きしながら店の奥へと消えた。俺は訳も分からないまま、その男の後を追うように店の奥へと入った。
◇◇◇
「何がいい? 珈琲か紅茶か、コーラも……いや、不必要かな」
「あ、はい。要りません」
俺は信じられないほどに食が細い、一日一食で事足りるほどにだ。そして、これもかなめと俺の不思議な共通点だった。
それをどうして目の前の男が知っているのか、少し不気味だったが、もう既に逃げるには手遅れだ。だから俺は黙って、男が珈琲をカップに入れて目の前に座るのを待っていた。
「さて、と。いきなりで悪いが宇波かなめは俺が死霊術で復活させた死体だ」
「死霊術……? は? え?」
「彼女は数年前に病気で死んでいるのだがね。遺族がどうしても死を受けいられないらしく、俺に復活を頼んだのさ」
目の前の男は淡々と珈琲を啜りながら話を続けているが、俺はあまりその内容を理解できなかった。というか、理解するに値しないと思った。馬鹿馬鹿しい与太話、聞く価値もない狂人の戯言だと。
「死体を適切な気温で保存している限り半永久的に腐敗を防止してくれる細菌を死体に感染させ、また死の記憶を消却した魂を肉体と再固着させる。たったこれだけでウン千万、死霊術というのは楽な商売さ。案外街には溢れかえってるよ、死なせて貰えなかった人間モドキというのはね」
だから俺が、相手に興味無いことを分かってもらうために、目を逸らして爪を弄っていると、急に男は黙って俺の手を握ってきた。
「えっ、なんですか」
「で、本題だが売ろうか?」
「え? 何を?」
「宇波かなめの死体だよ」
死体を、売る……?
「いやね、実際死霊術というのは難しくて。宇波かなめは失敗作なんだよ、本来はこうしてこの店にメンテナンスになんて来ずに自立できるはずなんだが、何をどう失敗してしまったのか、彼女の魂の固着が弱くてね、こうして数ヶ月に一回店に足を運んでもらうシステムを組まざるを得なかったんだ」
「……はぁ」
「だがこうやって、無関係な人間に店の位置がバレるし、なにより面倒だし、私としても宇波かなめは手放したいんだよ。遺族にも何度か説明して、ようやく復活も諦めてもらえそうなんだ」
「そこで、だ。君、宇波かなめの死体、買わないかい?」
あの美しい死体を自分のものに出来る。
結論はもう出ていた。
◇◇◇
「死人が死体に気持ちの悪い空っぽの愛をぶつけるのは滑稽だねぇ」
男は一人、呟いた。
