ネズミの子離れ

 バイクが走り去って、配達物だけが残った。

 ただし、その配達に変な所があるとすれば、配達物のような物は、大学キャンパスの人目のつかない芝生に残されているという所だ。

「あれ、バイクの人の忘れ物ちゃうん。」
 隣にいる美月がそんなことを言う隙に、バイクは遠くへと走り去っていった。バイクに乗っている人は、フルフェイスのヘルメットをしていたので、顔は分からなかった。

 ただ、バイクにしては異様な黒いスーツと黒いネクタイを着用していた。

「なんか、事件の匂いがせーへん?」
「別に。」
「そんなことはずないわ。よく匂い嗅いでみ。ツンと鼻を刺す匂いするやろ。」
 彼女にそう言われて、私は本当の匂いの方かと思い、匂いを嗅いでみると、確かに、化学的な刺激臭が微かにあった。

「きっと、あの段ボールの中やで。風上はあっちやから。」
 私は半信半疑でそのバイクの人間が置いていった配達物の段ボールに近づいた。すると、だんだんと刺激臭が強くなる。

 私達は服で口元を覆って、段ボールのそばまで来た。段ボールの口は少し開いていて、中が少し見える。

 段ボールの中身は、暗くてよく見えないが、何か小さなものが入っている。私達は段ボールの中を覗き込んで、よく見てみることにした。

「ネズミ?」
 段ボールの中に入っていたのは、白いネズミだった。私は段ボールの口を開いて見てみると、大きな段ボールの真ん中にそのネズミが置かれており、生きてはいなかった。

「気持ちわる。」
「ネズミの死骸を段ボールの中に入れて、誰かが置いていったってことか?なんでだろう?」

 そう彼女に問いかけると、なぜか、彼女は腹を膨らませ、笑いを堪えている様子だった。

「ちょっと待って、めっちゃしょうもないこと言っていい?」
「どうぞ。」
「クロネコの反対のシロネズミって可能性ない?」
「宅急便だから?」
「そう。」
 私たちの間に、しばらく沈黙が流れる。

「……それにしても、この匂いはなんだろうな?刺激臭と目に染みる感じがするから、危険な物の可能性もある。」
「シロネズミ…、宅急便…。」
「そして、不思議なのが、ネズミの腐敗臭がしないし、少し黄色がかっている。だから、きっと防腐効果のある物、おそらく、ホルマリンってとこかな。」
「シロネズミ、ヤバい人の宅急便…、
クロネコヤマトの宅急便みたいな…。」
「そして、この白いネズミ、これはおそらく、実験用の白いマウス。実験用のマウスなら、わざわざホルマリン漬けにして、保管する必要がない。

 珍しい生き物を保管するのが、ホルマリン漬けの特徴だからだ。もし、このマウスが珍しい物だとして、なぜ、ここに放置する?」
「ヤバい人を省略して、ヤバトみたいにしたら、シロネズミヤバトの宅急便…。」
「そして、なぜ、ホルマリン漬けにして、保管したかった物を取り出して、ここに放置しているのか?

 いらなくなったら、ゴミに出せばいい。それも、わざわざホルマリンから出す必要はない。だから、何かここでしかないできないことがあるのか?」
「ミも消そっか?シロネズヤバトの宅急便。これ、完璧ちゃう、リズムがおんなじやで、リズムが…。」
「そして、バイクで走り去った人物、黒いスーツを着ていた。普通バイクに乗る時に、スーツを着るのか?

 有り得なくもないが、あのスーツ通勤用というよりかは、何か別の用途のものか?」
「シロネズヤバトの宅急便〜♪

 ……。」
「……分かった。火葬だ!」
「……。」
「バイクで走り去った人物は、このネズミを火葬しようとしたんだ。

 バイクの人物は、何かの理由からホルマリン漬けのネズミを取り出し、ここで火葬しようとした。

 しかし、このまま燃やしてしまうと、箱は段ボールだから、芝生に引火すると考えた。

 だから、一旦、ネズミを放置して、燃え移らないような何かを持ってこようとした。

 そして、その瞬間を私達に見られた。そういうことだろう。」
「……無視、ひどい。」
「何か言った?」
「もういい!その推理でいいから、帰りましょ。火葬の冷やかしになったらダメでしょ!」
「でも、なぜ、今になって火葬しようと思ったのかの動機が分からない。それを考えないと…。」
「どうでもいいわよ。ネズミを火葬しようとしてる時点でヤバト…、ヤバい人なんだから、関わっちゃいけないわよ。」
「……なんで、そんなに怒ってるんだ?」
「……私が滑ってるみたいじゃない!!

 シロネズヤバトの宅急便、面白いでしょ?なんで笑わないのよ。」
「…ごめん、意図的に無視してるの分からない?」
「なっ……。」
 彼女はショックを受けて後退りした。

「もう帰る!」
「えぇ、レポート一緒に書くんじゃなかったの?」
「そんな気分じゃない!」
 そう言って、彼女は走り去っていった。私は呆気に取られて、彼女を追いかけることができなかった。

 確かに、私も無視したのは悪かったが、そこまで怒るようなことだろうか?

 彼女をこのまま追いかければ、私の方が損をしているような気がする。

「追いかけた方がいいんじゃないかな?」
 私の背後から、そのような声が聞こえた。私が振り向くと、後ろにはフルフェイスのヘルメットがあった。その後ろにはバイクがあったが、バイクの近づく音は聞こえなかった。

 私は驚いて、その人間から遠ざかる。遠ざかり、改めて見ると、ヘルメットと黒いスーツをまとった男が立っていた。

 私の驚いた顔を察したのか、男は両手でヘルメットを外した。すると、ヘルメットの中から出てきた顔は、50代くらいの中年男性だった。

「追いかけた方がいいよ。僕みたいに後悔したくないならね。」
 彼は、近くに止めたバイクの荷台の上にある空の一斗缶を固定しているロープを外しながら、そう言った。

「どういう事ですか?」
 彼は、ネズミの入った段ボールをチラリと見て、こちらを再び、少し見た。

「見たのかい?」
「はい…。」
「そうか、君には、段ボールの中身は何に見えた?」
「ネズミですよね。

 ……それで、あなたはそのネズミを火葬しようしているんですよね?」
「そこまで分かったかい? 

 …そうだよ。火葬だよ。ただ、ネズミのためじゃなくて、私には、我が子の…、いや、彼女のための火葬かもしれない。」
 そう呟いた彼は、少し悲ししそうな顔をした。その顔は、涙をこらえているようにも見えた。

 彼は荷代から解き終わった一斗缶を地面に置き、私に背を向けて、話を始めた。

「少し、私の話を聞いてもらってもいいかい?」
「…はい。」
「私は、この大学の獣医の教授なんだ。この大学で学位を取って、ずっとこの大学のままだ。

 もちろん、大学教授になると、大学時代の友達なんて、ほとんどが就職するか、獣医になるかのどっちかだ。

 博士まで取って、研究職を目指そうなんて人はそういない。

 でもね、私と一緒に、研究職を目指す女性がいた。彼女は私よりも賢くて、それは素晴らしい成果をあげていた。

 私なんて比にならないくらい、とても将来有望な人だった。

 私はそんな彼女に追いつこうと必死だった。いや、追い抜こうとしていた。彼女を引っ張っていけるような人間になりたい。そう思っていた。

 同じ研究室ではあったが、彼女はまさに、高嶺の花だった。研究ばかりしていて、私は近づけなかった。

 ある時間を除いてね。

 私達の研究する獣医学というのは、動物を使った実験が必要だ。だから、私達は共に、実験用のマウスの飼育をしていた。

 マウスの飼育は意外と大変で、餌や水、排泄物の処理、それを何十匹も毎日しないといけないとなると、とても大変だった。

 それを2人でお世話していた。最初はただの面倒な仕事程度に思っていた。きっと、彼女もそうだったと思う。

 でも、私達二人が毎日そんな作業をしていると、段々と息があってきて、早く済ますことができるようになってきた。

 その内、仕事の片手間に、話をすることも増えた。マウスの世話をする間に、研究と関係のない他愛もない話をいくらも交わした。

 その時間はとても楽しかった。こんな時間が延々と続いて欲しかった。

 そんな日が続くと、私はマウスが私たちの子供のように思えてきた。これは、私の一方的な感情かもしれないが、私達はまるで、夫婦のような時間をそこで過ごしていた。

 後で、実験で苦しめてしまうかもしれない、殺してしまうかもしれない。それでも、私達はマウスを我が子のように育てていた。

 とても人間のエゴが取り憑いた人間本意的な行動だったと思う。それでも、その時間が心地良かった。

 そんな時が続き、卒業が近くなったある日、そんな仲の良かった私達だが、一度、喧嘩をした。

 些細な研究内容の見解の相違から、口喧嘩になり、彼女は研究室を出ていった。

 でも、私の意見は間違っていないと信じていたし、討論の相違程度で、へそを曲げる彼女を追うのも違うと思ったからだ。

 だから、私は彼女を追いかけるでもなく、マウスの世話をした。1人でするマウスの世話は、大変で寂しかった。

 その時は、明日も彼女に会えると思っていたんだ。

 

 

 だが、それは叶わなかった。

 彼女は、私と別れた帰り道、死んでしまったからだ。

 別に、私と喧嘩別れしたからとかじゃないと思う。信号無視の車にはねられたんだ。

 でも、喧嘩別れしていなければ、その信号無視をした車に気がつけたんじゃないかって思った。

 それと、なんで、私は彼女を追いかけなかったんだろう。なんで、彼女のいる明日があると思ったんだろうと自分を責めた。

 私はそんなことをグルグルと頭の中で考えて、自分の中で、悲しみと自分自身への怒りを時間と共に積み上げていった。

 彼女の葬式にもいけなかった。

 彼女の家族に責められるんじゃないかと思ったら、足がすくんで、行けなかった。

 私は彼女の葬式に行く代わりに、研究室に行った。研究室で、いつも通りマウスの世話をした。

 そしたら、たくさんのマウスの内、1匹のマウスが死んでいたんだ。なんの外傷もなく、白く、綺麗な死骸だった。

 私はその時、そのマウスに特別なものを感じた。そのマウスは、彼女と時を同じくして死んでいた。

 あの時の私は、そのマウスの死骸が彼女なんじゃないかと本気で信じていた。

 そう思うと、なぜかそのマウスがとても愛おしいもののように思えた。私に来るはずのない明日を見せてくれるようだった。

 だから、私はそのマウスを取り出して、研究室から持ち出した。そして、このままの姿でいて欲しかったから、ホルマリンと瓶を買って、腐らないようにした。

 きっと、私はそうしていなかったら、彼女の死を耐えきれなかったと思う。このマウスが私を助けてくれた。

 このマウスを見ている時、彼女と一緒にマウスをお世話をしていた、あの時間を思い出す。延々と続いて欲しかったあの時間が、本当に延々と続いているようだった。」
 彼は一通り話し終えると、一斗缶の中にマウスを入れ、ポケットからライターを取り出した。

 彼はこちらに顔を見せようとしなかった。私はそんな彼に一つ質問をした。

「じゃあ、なぜ、今燃やそうと思ったんですか?」

 彼はしばらく考え、静寂が流れた。

「……それは、この子との子離れの時期かなと思ってね。

 このマウスは、彼女でもあり、私と彼女の子供でもあった。私はその二つの存在をこのマウスに重ねていた。

 たった一つのマウスで、家族を作っていたんだ。

 

 しかし、これは分かっての通り、これは妄想だ。そう信じ込むことで、自分を保っていた。

 でも、それは時間と共に失われていくものだ。家族であるはずのマウスが、段々とただのネズミの死骸にしか見えなくなっていった。

 それは、彼女との思い出の風化であり、私の中の自責の念が無くなっていることでもあった。

 そんな状態でも、私はこのマウスを手放すことはできなかった。これを失えば、彼女の全てを失うような気がしたからだ。

 私は別れの決心がつかないまま、彼女の死から18年が経った。

 そんなある日、私は教授として、このキャンパスでの講義があった。

 私がこのキャンパスに入ると、桜が満開で、新入生らしき人がたくさんいた。彼らはとても初々しく、新生活に心躍らせているようだった。

 そこで、私は思ったんだ。

 彼女の死から18年経った。もし、彼女との子供がいたならば、もう大学生になっているかもしれない。

 そうなると、大学生は、もう成人して、親離れの準備を始める。それと同時に、その親も、子離れの準備を始める時なんだと思った。

 

 だから、私は子離れをしようと決めた。

 狭い世界に永遠と閉じ込めて置くんじゃなくて、広い世界に出してやらなくちゃいけないと思った。

 それが彼女を失う事であっても、それが私の親としての責任だ。

 そう強く思ったんだ。」
 そう言って、彼はマウスの入れてあった段ボールを千切った。

「長々と話してしまったね。最初に言ったことと矛盾している。

 君はあの子を追いかけなさい。

 一度、別れたものが、自分のもとに帰ってくるという保証は、どこにもないのだからね。」
 そう言った彼は、ライターに火をつけ、千切った段ボールに引火させた。そして、燃える段ボールをマウスの入った一斗缶の中に入れた。

 私は、この場にはいてはいけない気がした。

 美月を追いかけることはもちろんだが、彼の別れの時間を邪魔してはならないと感じたからだ。

「分かりました。追いかけます。」

 彼の背中にそう呟くが、彼はこっちに顔を見せなかった。

 いや、見せられなかったのかもしれない。

 私はその場から走り出した。そして、彼が見えなくなった所で、振り返ると、煙が天高く舞い上がっていた。

 それは、天国の彼女に伝えるさよならの狼煙だった。

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