チュー毒

 

初めてのキスはレモンとイチゴの味がする。こんなことを最初に言い出したのは誰だろう。もしキスがそんな味なら、とレモンとイチゴをまとめて口の中に突っ込んだことがある。結果、右頬は酸っぱさに痺れ、左頬も右で収まらなかった果汁が押し寄せて同様に痺れた。やっとのことで飲みこんで、キスなんて糞食らえだとレモンの種を吹き捨てた。こんなバラエティー番組の罰ゲームのようなことを毎日のように行っている世のカップルたちはスゴいな、と馬鹿にして口の端で少し笑ったりもした。

そう、以上は私がまだ心の中の青春を挫き折っていた頃の話だ。

 

「チューしよ、ちゅ~」

初恋の人はキス魔だった。

「寂しかったんだよ? 昨日の晩も忙しいって言って逃げちゃうし、もう10時間は我慢してる」

そんなこと言われても、実際昨日は急ぎの課題をこなさなければいけなかったのだからしょうがない。西教授の課題は期限設定がシビアなことで有名だ。ギリギリすぎて、採点が面倒だから学生に課題を出してほしくないのだ、と噂されている。専門授業としてそれを自らすすんで選択してしまった以上私に文句を言う資格はないのだが。

「待たせてごめんね」

そういって、彼女に向って両手を広げる。彼女は大型犬みたいにそこに飛び込んできて、歯と歯がぶつかってカツンと音が出るほどの勢いで顔を私の口元に近づけた。身長差があるので、私はちょっとしゃがみ、彼女はちょっと背伸びする。いつも無言のうちに行われるキスの作法だった。そのまま彼女は気の向くまま数秒間押し付け合いみたいなキスをして、気が済んだのかパッと離れた。

「じゃ、またね!」

ひらひらと手を振って彼女は授業終わりの大学生の群衆に混じって行ってしまう。彼女が花柄のワンピースを着ていたことを知ったのはその時で、それを自分は褒めるべきだったと思ったのは、彼女と別れて学食で遅めの昼ご飯を食べていた時だった。

 

出会ったのはサークルの新入生歓迎会でだった。うすうす気づいていたことだったが、我らがテニスサークル「ニューボールズ」はテニスという皮をかぶったお遊びサークルだった。もちろんテニスもしないことはない。しないことはないが、それは月に一回市のテニスコートを一時間、もしやる気がある人がいれば追加で一時間テニスをしていたぐらいだった。中高とテニスをしていた私だったが、特段強いわけでもなかったので、このサークルで初心者相手に無敗であることを誇っていたりした。しかしサークル活動の多くはテニスとほとんど関係ないことで、私の実力がサークル内での地位向上に役立つことは殆どなかった。さらに言ってしまえば、私はどうやら酒の飲めない体質だったようで、サークル内でのポジションは真中少し後ろ、幽霊部員のイケメンより少し下あたりであった。

彼女と出会ったのは、その数少ないテニス活動の日だった。彼女は僕でも普段は着ないような試合用のウェアを着てテニスコートに現れた。彼女はきょろきょろと周囲を見渡した後、唯一スポーツをする格好をしていた私に声をかけてきた。

「他の部員さんたちはいらしゃらないんですか?」

もちろんいらっしゃるのだが、彼女の眼には彼らの姿なんて入っていないのだろう。僕はそれが無性にうれしかった。

「いや、ほかの皆は中で休んでますよ。今日は暑いですから」

言い終わった後に、付け足した一文は性格が悪すぎたかとも思ったが、いまさら訂正するのも恥ずかしい。

「よかったら、二人で試合しませんか? 何もしないのももったいないし」

彼女は私と同様、今年からこのサークルに入った新入生だといった。ただ彼女は一つ年上、つまり浪人生だそうで、なじむのに少し苦労してるらしかった。

「大学きて喋ったの君が初めてなんだよね。これからよろしく!」

おそらく新品らしい気合の入ったウェアを慣れなさそうに着る彼女は、なんだか初心っぽくて、端的に言えばエロかった。

 

「やっほ!」

午前の授業が終わり、そのまま一直線に学食に向かう陰気な一団の中にいた僕の肩を誰かが叩いた。振り返ると彼女の顔がすぐそこまで迫っていた。彼女の到来でサッと穴が開くように集団が僕を避ける。そして僕らはそのまま衝突事故みたいなキスをして、稲妻みたいに彼女は去っていく。彼女がいつも喋っている友達のもとに小走りで走っていき、なにやらこっちを見てあれやこれや話をしているようだった。向こうのうちの一人が手を振ったので、こちらも振り替えしてみる。どっとウケた。珍獣か何かだと思われているのだろうか。向こうの会話が、唇の動きから読み取れないかと目を凝らす私に、先ほどサッと避けたうちの一人、友人の林田が声をかけてきた。

「うらやましいぜ、可愛い彼女もいるし、その彼女がキス魔ときた。お前にとって大学はキス場なんだろうな、色男」

「キス魔の彼女にはあれでもメンドクサイところもあるんだぜ? まるでエネルギー補給機かなんかだと思ってるらしい」

「俺だってなれるもんならあの子のエネルギー補給機になってみたいね。いや、立候補するぜ。お前がそんなスタンスなら、俺が寝取っちまう」

林田は絶望的にモテない。それは160センチの身長のせいかもしれないし、彼の皮肉屋っぽい性格のせいかもしれなかった。

「林田も意地張ってないで、何かサークルでも入れよ。出会いがあるかもしれない」

「もう入ってるっつーの。それともあれか?マイコン部はサークルじゃないのか?」

林田の趣味はマイコンと言って、よくわからないがパソコンのプログラミングやなんからしい。そんな部活に、到底女の子が寄り付くとは思えない。

「運動サークルにいいところも沢山ある。何ならうちのサークルを紹介しようか」

「結構だ。お前のキス顔なんてもうお腹一杯なのにこれ以上見る機会を増やしてたまるか」

じゃれあいながら僕らは食堂へと入っていった。

 

「かんぱ~い!」

ニューボールズのメインの活動は2週に一回のこうした飲み会だった。総勢40名を超える我がサークルでは毎回お座敷席の大部屋をとって宴会が行われる。1テーブル六名で、大体7テーブルぐらいの計算だ。流れと、くじでテーブルに仕分けられた僕らは、部長の乾杯の音頭とともに宴会を始める。酒が弱いことが分かっている僕は、先輩方から差し出されるアルコールをまた隣の先輩に渡すという、バケツリレー作戦をしていた。ふと向こうを見ると、彼女がコールに乗せられてイッキをしているところだった。なんといっても彼女は浪人性であり、アルコールを飲んでも法的に大丈夫な年齢なのだ。機嫌よくすいすい飲んでいき、どんどん顔が赤くなっていった。私は自テーブルの惨状など気にも留めず、ただじっと向こうのテーブルに差し迫った危機を眺めていた。

「そういえば桜さんってキス魔なんよな?」

彼女の隣の席に座っていた三回の金髪の男がそういった。僕はやばいと思い立ち上ろうとしたが、足元がふらつく。誰かが遊び半分で飲み物に酒を混ぜていたらしい。目のまえで、彼女の頭と先輩の頭がくっついていく。僕は朦朧とする視界の中、から揚げに添えられたレモンを掴んだ。そして、彼女が酔っぱらいながらその先輩とキスするのを見ながら、それを口に入れ、思い切り噛みしめた。酸の味が口腔内に広がる。キスの味には似ても似つかないはずのそれが、今の私にはどうやら違って思えた。

 

 

 

 

 

 

タイトルとURLをコピーしました