今日はクリスマス。世界中に愛があふれ、街は5割増しで輝きを放ち、街路樹ですらキラキラと着飾る夜。そんな日に私は、スーツのままソファーに倒れ掛かっている。仕事柄年末が忙しいのは仕方ないが今日で11連勤、1日ぶり7回目の終電での帰宅だ。さすがに来るものがある。
時計の針は1時をとうに過ぎており、明日も仕事があることを考えるとすぐにでも寝た方が良いのだろうが、今日だけはやらなければいけないことがある。私はボロボロの体に鞭打って、冷蔵庫からあるものを取り出した。ラップを剥がし、白い砂糖でコーティングされたそれを皿に移すと甘い香りとかすかなスパイスの香りが鼻をくすぐる。そう、シュト-レンである。少し前に買ったものなのだが、クリスマスの今日、自分へのご褒美として一本丸々食べようと残しておいたのだ。ここ最近はこれだけを楽しみに日々を生きていた。
端から一切れを厚めに切ると、フォークで口へと運ぶ。うん、美味しい。口いっぱいに広がる甘さとバターの香りにドライフルーツの酸味が良いアクセントになっている。いいとこのやつを買っただけあってたしかに美味しい…のだが、なぜだろうか。一口食べただけで胃もたれするというか、胸がいっぱいになってしまい、それ以上フォークが動かない。何ということだろう。二十も半ばにして、ついに私はシュトーレンの一切れすら満足に食べられない人間になってしまったのか。そうして胃にずしりと響くシュトーレンの甘さに揺られていると、日々の疲れからなのか少しずつ意識が遠のいていく感覚に襲われる。あ、これ寝る奴だ……。
家の前を通る車の音で目を覚まし、時計を見ると、時刻は午前3時を指していた。どうやらシュトーレンを食べている間に寝落ちしてしまったようだ。今から寝直してもどうせすぐに出社なのだが、少しでも寝ておこうと寝室の方に目をやると、部屋に佇む何かと目が合った。身長は160cm程度だろうか、黒とも紫ともつかない全身に角を生やし、こちらを見つめるそれは、まさに悪魔……というか虫歯菌だろうか?そいつは良く見ればどことなく間抜けな雰囲気を漂わせている。右手にある三又の槍のようななにか、あれを持っているのなんて小学校のほけんだよりに載っている虫歯菌かポセイドンくらいのものだろう。推定虫歯菌のそいつは、声も出さずにじっと見つめている私を見て口を開いた。
「わたしは、お前たちがいうところの死神だ。首藤蓮花、今日はお前の命をもらいに来た。」
え、死神?というか私死ぬの?荒唐無稽ななにかから発せられた、さらに荒唐無稽な言葉は、ただでさえ鈍い寝起きの頭にはキャパオーバーだ。たしかにお世辞にも健康的な生活をしていたとは言えないし、最近はもう全身に不具合が起きていることをひしひしと感じていた。死は自らの意思に関係なく突然訪れるものであり、その覚悟すら出来ずに人生の幕が下りることも珍しくない。とはいえ目が覚めたらなんか部屋に居たやつに死の運命を知らされても、それはそれで面食らってしまう。沈黙を続ける私を見かねたのか、死神(?)は私に死が訪れるまでの経緯を語ってくれた。
なるほど……。いわく人間にはそれぞれ担当の死神というものがいて、誰にいつ死が訪れるかは担当する死神の裁量によって決まる。たいていの死神は人生における心臓の鼓動の総数であったり、1~100までが書かれた100面ダイスを振って出た目を基準に決めるそうだ。つまり私は担当の死神、目の前にいるそいつの基準を満たしてしまったがために死ぬということなのだろう。なんとも理不尽な話である。
「で、私の死の基準って何?」
「それは…………シュトーレンを一切れ食べきれるか否か?だ」
「え…いやいやおかしくない!?」
「何がだ?シュトーレンの一切れも食べきれないなんて、もう寿命みたいなもんだろう」
どう考えてもそんなわけがないだろ。あまりにも思想が強すぎる。私の人生シュトーレンを食べきれるかどうかなの?今日シュトーレンを食べなかったら?なんでドイツじゃなくて日本にいるんだよ。いろいろな疑問が頭を駆け巡る。というかそもそも
「なんでシュトーレンなの?別にもっと他の方法でも」
「そこが気になるか。話せば長くなるが…」
そういって死神は語りだした。生前彼は一人の人間だったこと。小さいころからシュトーレンが憧れでいつか食べてみたかったこと。いざ大人になってシュトーレンを食べてみたらなんか思ってたのと違う、特に彼の苦手なドライフルーツが入っていたこと。その瞬間気持ちが爆発して憤死してしまい、死後死神になったこと……。
「というわけだ。ひどいよな。あいつらチョコ味みたいな顔してたのに実際は全然違うんだぜ」
それはそっちの確認不足だろ。普通に買う前に気づけ。というかシュトーレンが思ってたのと違うだけでそんな三国志みたいな死に方しなくても……。
「なんだか粛然としてなさそうだな。わかった。じゃあ特別に死を避ける方法を教えてやろう」
「え、そんなんあるの?」
「ああ、簡単な話だ。さっきの食いかけのシュトーレンあれを一切れちゃんと食えたら今日のところは見逃してやる」
確かにシンプルと言えばシンプルである。シュトーレンを食えなかったから死ぬのならば、シュトーレンを食えれば生きることが出来る。なるほどまさに──────────
「シュトーレン・オア・ダイってわけね……」
「?」
「いやなんでもないです…」
とはいえ問題はシュトーレンである。死の危機が迫っているとはいえボロボロ寝不足の体と胃にこの甘さはキツい。まさに殺人的、死ュトーレンである。意を決して口に運ぶも、二口が限度だった。それ以上フォークが動かない。
半切れ残ったシュトーレンを前にうなだれる私。さながらギロチンが下りてくるのをまつ死刑囚か。そんな私を見て死神が口を開く。
「なんだ、命がかかっていても食えないのか。……しょうがないな。オーブンを借りるぞ」
そう言うと死神は私の食べかけのシュトーレンをオーブンで温める。数分後、死神がオーブンを開けると、部屋中に甘い香りが充満する。
「これは……」
「いいから食ってみろ」
そういわれて恐る恐る口に運ぶと瞬間じゅわっとバターが染み出し、芳醇な香りが花開いた。さっきまでの重たい甘みはどこへやら、サクサクとした外側と染みるような内側のハーモニーによって甘さはそのままに、いくつでもいける美味しさに仕上がっている。私はあっという間に一切れを完食した。
「これめちゃめちゃ美味しい!」
「そうだろう……」
それだけ言うと死神は満足そうに消えていった。いったい彼は何だったのだろう。いや、きっと彼はただシュトーレンが好きだったのだ。シュトーレンで憤死したのも、裏を返せばそれだけ愛していたということ。自らの死の原因となっても、なお。そしてシュトーレンを満足に楽しめなかった私を見かねて現れたのだろう。ありがとう。名も知らぬ死神。私、これまで以上にシュトーレンを好きになれた気がする。気づくとカーテンからは朝日が差し込んでいる。もう出社の時刻だというのに気分はなぜか晴れやかだ。未だ甘い香りが漂う部屋で、私はスーツに袖を通した。
