ボクはアイツを殴った。レンガで、思いっきり。ほんの少し前まで生きていたものが今、目の前で死に絶えようとしている。アイツの血がこびりついたレンガは夕陽に照らされながら地面に横たわっている。血は思ったよりも暗い色だ。鮮血という言葉があるくらいだからもっと明るい色をしているものだと思った。実際はボクを流れる血も、アイツから流れている血も、人間の腹の底のような黒さに侵されているのに。
「何故、君はこんなことをするんだ…」
と、アイツが言う。
「何故もなにも、そうせざるを得なかったのはお前が1番よく分かっているだろう?」
何故、と言われても。今日のあらゆる人間の行動はそれまでの行動の積み重ねの結実なのだから、今日の行動自体に意味なんてない。唯一あるのはその行動を起こさざるを得なくなった自分の心だ。心は不思議だ。心そのものは実体がないのに、心は実体がある行動によって構成されている。実体がないものの要素が実体があるものだという怪奇な事実を考えると、何故だか笑いを堪えられなくなりそうだ。レンガでアイツを殴ったのも、ただ殴りたかったから殴ったという単純なものではない。何故殴ったかは自分でもよく分からないが、少なくとも感情のみに起因する短絡的行動ではないことはいえる。事実、自分はそこまで感情的な人間ではない。普段の生活において殆ど感情を剥き出しにすることがない。大人しく、冷静に、日々を乗り過ごしている。その態度がこの社会に馴染むためには必要なのだ。
「君はボクとずっと友達だったじゃないか…」
「少なくとも、ボクはこんな仕打ちを受ける覚えはないぞ…」
アイツがずっとボクに問いかけている。どんどんアイツの声が小さくなって、血溜まりが大きくなってきている。
「ボクとお前がずっと友達だった?ウソをつくのもいい加減にしろよ。ボクはお前と一緒に居なきゃ行けなかったから居ただけだ。ボクはずっと前から邪魔くさいお前と離れたかったよ。」
アイツはなにを言っているんだ。全く意味がわからない。確かに、ボクとアイツは物心つく前からさっきまでそばにいた。それは紛れもない事実だ。ただ、自分の意思でそばにいた訳じゃない。わざわざ離れようとしなかっただけだ。いつの間にかそばにいたものを引き剥がすのには相応の理由と労力がいる。アイツはボクのそばにいるだけで特別ボクに害をなすわけでも無かったから、ボクにはアイツにそこまでの労力を割く必要も感じられなかった。といってもアイツがボクのそばにいて良いことがあったかと言われると、それも特段ないのだけれども。
ボクは断じてウソはついていない。今までの受け答えにも偽りは微塵もない。ボクは嘘吐きが大嫌いだ。それは単に嘘吐きが信用ならないからとかいう理由ではない。嘘をつく必要性が全くないと常日頃思っているからだ。自分のしてきたこと、していこうと思っていることを偽ってどうしようというのだろう?過去を偽っても、間違いなく明らかになるものだ。なぜなら過去の自分は現在の行動に反映されているからだ。過去を偽っても、現在の自分に本当の過去が滲み出てしまう。人間は口だけで物事を表現する訳ではない。無意識のうちに色んな仕草で過去を表してしまう。これら全てを自分の意識下で巧みに操るというのは、間違いなく人間には不可能だ。また言うまでもないことだが、過去を偽って不特定多数に善く思われるよりも、過去を曝け出して一部の人間と仲良く付き合って行くほうが、色んな意味で楽なのだ。いずれ嘘がバレるという知らず知らずの恐怖を心の片隅に抱え、嘘に嘘を重ねながら生きて行くことをあえて選択する必要性は微塵もない。そこまでして広げた広く浅い交友関係にはなんの希望もない。そんなことするくらいなら狭く深い交友関係のほうがよっぽどマシだろう?
だからこそ嘘を吐く意味がないし、必要もないのだ。
「ウソをついているのは君のほうだろう?」
「だって君はボクをレンガで殴ったじゃないか。」
「君が本当に感情的な人間じゃないなら、ボクをレンガで殴ったりしないだろ?」
と、アイツが立ち上がりながら言う。
「君は君自身にウソを吐いているんだよ。」
…………?
なにを言っているのか全く見当がつかない。レンガで頭を殴られてどこかおかしくなってしまったのかもしれない。
「君はここまで大事なところで嘘しか吐いていない。最初から全て。」
「じゃあ、どこが嘘だって言うんだ?」
「分からない君のために一つずつ教えていこうか。一つ目、ボクは嘘吐きじゃない。ボクは今まで本当のことしか言ってない。そもそもなんで君に嘘をつく必要があるんだい?ずっとそばにいたじゃないか。」
「ボクも嘘言った覚えはないが」
「もうやめろって、『嘘は言ってない』っていう嘘は。そろそろ面白くないぞ〜。」
「………………」
「二つ目、君とボクは友達じゃない。そもそも最初から。」
「だからボクもさっきそう言っただ…」
「違う。君とボクが言ってることは根本的に違う。ボクが言いたいのは、そもそも君とボクは同じ人間じゃないかって言うことさ」
「同じ人間ってどういう意味なんだよ」
「どういう意味って………そのままの意味だよ。君とボクはある人間の人格にすぎないんだ。そこに優劣なんてないし、違いもない。そもそも人間じゃないし」
「三つ目、君は感情的な人格で、ボクが冷静な人格だ。君は自分のことを感情的な人格だと思いたくなかったようだけどね。実際、君はボクの頭を思い切りレンガで殴ったろ?それがなによりの証拠じゃないか。」
「……………………」
「さて、最後の四つ目を言う前に、君に一つ聞きたいことがある。」
「何故、君はボクをレンガで殴ったのだろう?ボクは君になにもしていないのに、感情的に君はボクを容赦なく殴った。どう思う?」
「…………わからない。気づいたら、殴ってた。」
「わからない、それが君の答えなのか。」
「…………ああ」
「ボクは答えを知っている。今からその答えを君に教えてあげよう。そこに鏡があるだろう?その鏡を見れば、答えが分かるよ」
答えを。知りたい。ここは黙って言うことを聞くのが賢明だろう。ボクはボクの言う通り鏡を取って、覗き込んだ。すると、そこには
「………………!」
血を流しているアイツがいた。
「四つ目、君はそもそも僕をレンガで殴っていない。」
「殴られたのはボクらニ人ともだ。いや、正確にはボクら二人の人格を中に秘めている現実の人間と言うべきだな。」
「ボクら二人を秘めた現実の人間はそもそも冷静なボクを主体として行動していた。冷静に、感情を表に出さず、日々をやり過ごしていた。そうすることが現代社会を生き抜く上で最善だと考えたのだろう。それ自体は悪くない考えだったんだ。だからボクは君が暴れ出さないようにずっとそばにいたんだよ」
「そんな彼にも恋人ができた。それはそれは彼のことをよく理解してくれる良い人のようだったよ。彼と彼女の恋仲は数年続いてきた。ちょっと前までは、だけどね。」
「………………」
「君も知っていたことだろう?あの時まではさぞ楽しそうに過ごしていたじゃないか。」
「………………でも、あの時、あの女が」
「そうだねぇ………その彼女が浮気していたことが分かった。きっかけはひょんなことだったよねぇ。彼の友達と彼が楽しく喋ってたとき、彼女が他の男と最近一緒にいることを聞かされた。彼も最初は友達の言うことを信じなかったよね。でも、次第に彼と彼女との距離感が遠くなって行くのを彼も薄々気づいてたんだよね。そしてついに音信不通になったんだ。」
「……………………」
「彼は悲しみに暮れた。朝から晩まで吐き続け、ご飯も食べれない生活が2週間くらい続いた。それはそれは苦しかっただろうよ。それは君の方がよく分かるんだろうけどさ。けれども、時間は体も心も癒して行く。時間が経つにつれ、彼もどんどん立ち直っていった。」
「そんな矢先、彼の元カノとその浮気相手と遭遇した。家の近くの駐車場だった。ちょうど近くの家のリフォーム工事かなんかをやってたとかで、駐車場を二月くらい借りてたんだな。浮気相手は……少なくとも誠実な人間には全く見えなかった。どちらかと言うと不良に近いような。チャラついたガタイのいい男だった。で、彼はそいつにバカにされた。『こんな細い男のどこが良かったんだよ笑』ってね。そこで君は彼の人格の主導権をボクから奪い取って、彼に柄にもなく言い返させた訳だ、『こんなあからさまな能無しのどこが良いんだ?』って。ボクは君を褒めたいね。よくやったと思う。」
「ただ、相手が悪かったな。相手は不良っぽいって言ったろ?彼が言ったことに腹を立てて工事現場の横に積んであったレンガで彼の頭を横一文字にブン殴った。彼の生まれ育った地域は治安が悪いから、殴られる可能性があるって分かってたと思う。だからボクなら言い返さなかっただろう。でも君はそんなボクを押しのけて、彼に勇気を与えたんだ。その結果、彼とボクらは死に際に立っている。その事実に耐えられなくて、君はボクを殴ったことにして、自分のしたことの責任から逃れようとしたんだ。」
「……………………そうだな」
「別にボクは君を責めたい訳じゃない。彼がこのまま死んだとしても、君のおかげで人間らしい死に方ができるだろうよ。自分の大切なものを取られて冷静でいる方がマトモな大人ですって言いたげな世の中だけど、違うからね。そういうときに感情的になるのが人間なんだ。その結果死んだとしても、有意義だとは思わないかい?」
「……………………少なくとも、ボクは後悔してないさ。君と彼には悪かったと思っているよ。」
「少しは素直になってくれて結構なことだね。君は感情的すぎるあまり自責思考が強すぎるのが駄目だ。現実には他責思考じゃないとやっていけないほどの困難は山程あるだろ?もっと気楽なくらいがちょうど良いさ。」
「ああ、今度からはそうさせてもらおうかな。今度があれば、だけど。」
「あら、もしかして君、彼がこのまま死ぬって思ってる?」
「冷静な君がそういうからてっきりそうなのかと思ってたんだけど。」
「彼はこのまま死なないよ。ボクらが力を合わせて根性を出せば、最低でも刺し違えるくらいはできると思うけど。どうかな?」
「このまま死ぬのもなんか癪だし、最後に一花咲かせるかぁ。」
「死ぬ気でやればなんでも出来る、ってね。」
