こいのぼり研究会

4月、出会いと始まりの季節。晴れて第一志望の大学に合格した僕は、期待に胸を膨らませながら正門をくぐった。桜並木とサークルの勧誘が道の両側にあふれている。きっとこれからキラキラの大学生活が待っているのだろう。友達と一緒に授業を受けて、サークルやバイトに打ち込み、長期休みには旅行や合宿に行く、そんな大学生活が…。

 

 

おかしい。誰にも話しかけられなかった。念のために裏門を出てから大回りして正門まで戻って、もう一周したけどまた誰にも話しかけられなかった。どういうことだ。サークルの勧誘なんてものは、一回生と見るやいなや誰彼構わず飛びつくように条件付けられたパブロフの犬だと聞いていたのに、まるで話が違うではないか。新歓のあふれた大学で俺だけが誘われない?そんな陳腐でチープな展開は求めてないんだよ。勧誘が群れをなす大通りから少し外れたベンチで、缶ジュースを飲みながらこの世の不条理を憂いていると、ふと眼前の掲示板が目に留まった。こんな構内の外れにある掲示板だ。普段からあまり見る人もいないのだろう。何年前のものかも分からないような張り紙やポスターが、忘れ去られたようにひしめき合っている。その片隅に、その中でも一際古いポスターが一枚。

 

「『こいのぼり研究会』…?」

どうやら新歓のお知らせのようだ。勧誘のメインストリートには『こいのぼり研究会』なるサークルはなかったはずだ。話しかけられ待ちの姿勢で必要以上にゆっくり、周囲を見回しながら歩いたのだから、こんな変なサークルを見逃すわけがない。ポスターによると4月の間はいつでも見学受付中らしい。少しの間悩んで、ポスターに書かれた部室に行ってみることにした。まあ、大昔に無くなったサークルだろう。探検代わりに今どんなサークルが入っているのか覗いて見るのも悪くない。缶ジュースの空き缶をゴミ箱に投げ入れ、僕はその場所へと歩き出した。

 

着いたのは、周りにある塀だけが大学の敷地内であることを証明するような、外れも外れにある部室棟。おそるおそる入ってみると、中は外の陽気とは裏腹に全体的に薄暗く、コツコツという足音だけが響いている。階段を上り、たどり着いた2階の奥の奥にそれはあった。ボロっちい扉に貼られた何かの裏紙に、マジックペンで『こいのぼり研究会』と書いてある。実在していたことに驚きつつ中を伺うが、曇った窓ガラスと窓際に積まれた本のせいで人がいるのかどうかも分からない。入るかどうか悩むこと3分。帰ろうと決めてくるっと踵を返すと、こちらへ向かってくる人影と目が合った。

 

「もしかして、見学の方ですか!?」

「え、あの」

「どうぞどうぞ、お菓子もありますよ」

「あっはい」

 

部員と思しきメガネの人に言われるがまま部室へと入る。中には誰もいなかったようで、僕はおずおずと革が剥がれたパイプ椅子に座った。

 

「掲示板見て来てくれたんですか?」

「あっそうです」

 

お菓子とお茶の準備をしながらメガネの先輩が話しかけてくる。名前は谷上さんで僕と同じ経済学部の、三回の方らしい。どうぞと差し出されたお茶を一口飲み、沈黙を埋めるように話し出す。

「こいのぼり研究会って普段何をしてるんですか?」

「あー、うちはねぇ名前の通りこいのぼりの研究をしてるんだけど、普段は特に何もしてないね。年一でGWの時期にこいのぼりを見に合宿に行くのと、たまーに文化祭で部誌出したり展示したりするくらいかな。基本は部員が適当にここに集まって、適当に過ごしてる感じ」

「そうなんですか…」

 

本当にそうなんですか以上の感想も出ずお茶をすする。お茶をすするだけの僕を見かねたのか、先輩は色々とサークルについて話してくれた。部員は全部で10人くらいなこと、積極的な新歓は行わず、ポスターを見た人だけを勧誘するのがサークルのしきたりなこと…。

一応話は聞いていたが、結局こんな怪しいサークルに入ろうとも思えず、30分くらいかけてちびちび飲んでいたお茶も飲み終わり、申し訳ないけど帰ろうと立ち上がった僕に先輩がそうそう、といって本棚から紙の束を取り出した。

 

「君経済学部だったよね?このサークル歴史だけはあってね、般教含めて大体の授業の過去問が揃うんだよね。このサークルに入れば使い放題な」

「入ります」

 

それから1ヶ月が経ち、合宿の日がやってきた。自分と谷上先輩含め、4人での合宿だ。他の部員はそれぞれ勝手に全国各地のこいのぼりを見に行っているそうだ。幸いにも3人ともこの1ヶ月の間に何度か話したことのある先輩だったため、多少は気が楽である。今回は◯県×市のこいのぼり祭りに行くらしい。何でも期間中は、大きな自然公園に数百匹のこいのぼりが飾られるのだとか。正直そこまで気乗りはしない。合宿には何をしに行くのか尋ねたところ、

 

「そもそもこいのぼりは何のために掲げるのか知ってるかい?」

「えーと、あれですよね、登竜門」

「そう、鯉が滝を登って竜になったという伝説のように、子供がたくましく育ち立身出世を果たしますようにという願いをこめて掲げられてるんだ」

自信は無かったが合っていたようで、ほっと胸をなで下ろすと先輩はつらつらと語りだした。

 

「こどもの日前後の期間で、日本全国推定数万匹ものこいのぼりが空を泳いでいる。ならこうは考えられないか?空を泳ぐ数万匹のこいのぼり、そのうち1匹ぐらい本当に竜になるやつがいるんじゃないか」

「え?」

「うん、いるに決まってる。合宿へはその瞬間を観測しに行くんだ。こいのぼりが掲げられる期間は短いからね、たくさんいるところに行くのが最も高確率だ」

「え、それって他の部員の方もそうなんですか…?」

「ああ、君と一緒に行く2人はもちろん。合宿に行かない他の部員もそれぞれがここだ!と思ったスポットへ観測しに行くはずだよ。君は運がいい。数々の資料を見た結果、今は×市が一番熱いんだ。地相的にもここが最高だし何より×市には龍神伝説があって…」

 

勘弁してくれ…。と思いつつも、もう合宿の申込みの締め切りを過ぎていたためキャンセルすることもできず、あえなく連行される事となった。×市へ向かう車の中で1週間前のことを考えていると、出発して大体4時間であろうか、やっと会場に着いたようだ。実際数百匹のこいのぼりを目の当たりにすると、その光景は圧巻の一言で、普通に見れたらどんなにいいだろうかと己の境遇を恨んだ。

 

そこからの数時間は存外楽しかった。先輩に連れられ、全体が一望できるスポットで双眼鏡を覗く。5月の暖かな陽光と相まって、目的さえ忘れてしまえばキラキラとした大学生活に思えなくもない。

 

 

いや、そんなこともないかと自嘲していると、ぽつりぽつりと降り始めた雨の雫が頬を濡らした。今日は1日中晴れの予報だったから大丈夫!すぐ止むよ!という先輩の声とは裏腹に、雨は次第に強くなり、自分たち以外の客があらかた消えたところでギブアップとなった。予定より少し早いが観測を切り上げて車に乗り込み、宿へと向かう。

 

「いやー、めざましテレビは今日雨降らないって言ってたんだけどなぁ」

「めざましテレビなんてちいかわ以外信じちゃいけませんよ」

「いやいやちいかわとかいうぽっと出より今日のわんこだろ」

「は?」

「は?」

それからしばらくたち、ちいかわ今日のわんこ論争も落ち着くと、車内に束の間の静寂が訪れる。その静寂を破るように、あまり話せていない僕を見かねたのか、谷上先輩が話しかけてきた。

 

「1ヶ月経つけどどう?大学慣れた?」

「多少は慣れましたね…」

「まあ僕も今年で6年目だからね、何かわからないことがあったら聞いてよ!」

何か引っかかるワードが聞こえ、慌てて聞き返す。

「え、先輩って留年してるんですか?」

「え、うん。3留してるよ」

 

そうだったのか、全然気づかなかった…。と驚いていると、先輩がこう続けた。

 

「何でそんなに留年してるんだって顔だね?それは我らが難波公立大学を愛しているからさ!だよな、田中、山下!」

「ええ、なんてったって難波公立大学は府内全域に6つのキャンパス!しかも来年には市内に新キャンパスが開業予定だ!」

「公立大学では全国トップとなる1万6000人の生徒数。広大なキャンパスと、多くの学友とともに健康、医療、法学、現代システムなど幅広い学問を学べるんだ!」

「みんなも関西一の総合大学、難波公立大学で充実したキャンパスライフを送ろう!!」

「よーし、みんなで校歌を歌おう!!総合知〜♪」

 

盛り上がる車内から目をそらすように窓の外を見ると、稲光に照らされて雲間に一筋の線が動いたような気がした。きっと双眼鏡の覗きすぎで目が疲れたんだろう。宿まではあと30分くらいかかるらしい。車内の喧騒にも付き合いきれないことだし、少しでも休むために、僕は目を瞑った。

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